『動物の足跡を追って』
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われわれは熊から何を教わるのか 足跡を辿って知る「獣の世界」
[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)
熊が里の暮らしを脅かすようになって久しいが、人はなぜ熊をこれほど怖れるのだろうか。もちろん熊は、われわれの生活領域のすぐ隣の森に暮らす猛獣の筆頭だ。だから人類は太古より熊を怖れる記憶を継承してきた。でもそれだけではないと本書は語る。
熊に食われることでわれわれは熊から何を教わるのか。それは最終的には人間もまた肉に過ぎないという、あまりに生々しくて目を背けたい事実だ。この事実が恐ろしいので人は熊を必要以上に怖れるし異様な関心をしめす。それを教えてくれるのは、今や熊だけなのだ。
ここに本書の論点は凝縮している。近代になって人類は自然を征服して、人工的でスベスベとした清潔空間を拡げたと思っていたのに、熊はその幻想をつき破って時々、人間を食べちゃうのだ。熊が間違っているのか? そうではあるまい。ではもし真実が熊の側にあるのなら、近代人たるわれわれはどうやってそれを知ることができるのか? それは森のなかで動物の足跡を追うことだ。
獣の足跡は人間の思惑とはまったく無関係に森にひろがる。だから獣を見つけるには、自我を消し、獣の身になって考えないといけない。内側を消すことで外側の獣の世界がなだれ込み、他の生き物との関係性が内部を充たし、私の世界と獣の世界は一体化する。それは西洋に一貫して流れてきた、人間を主、自然を従とみる人間中心主義を乗り越える新しい実践だ。
狩猟時代に獣を追跡したことが人間性の起源だという最終章はかなりスリリングだ。足跡だけで動物の行動を推測することで人間は論理的思考を獲得し、共感力を発達させた。何かを追い求め、探求するという行為そのものがドーパミンの分泌を促し、喜びを生みだすのだ。なるほど! これまでかかえてきた疑問や謎が色々と解きほぐされ、じつにすっきりした読後感があった。