「5000億個の卵」が買えた値段で「1個の卵」しか買えなくなったドイツ……100年前の人々の反応とは

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ハイパーインフレの悪夢

『ハイパーインフレの悪夢』

著者
アダム・ファーガソン [著]/黒輪 篤嗣 [訳]/桐谷 知未 [訳]/池上 彰 [解説]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784105062712
発売日
2011/05/27
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

人間と社会を破壊するハイパーインフレの悪夢

[レビュアー] 為末大(Deportare Partners代表/元陸上選手)


ドイツが経験したハイパーインフレ

国民がそうと意識しないうちにハイパーインフレに見舞われ、社会が崩壊した100年前のドイツ。その過程を生々しく記録した書籍が『ハイパーインフレの悪夢―ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する―』だ。第一次世界大戦の敗北後、通貨安による好況も束の間、深刻な物価高騰が庶民の生活を襲う。混乱の前兆から末路までをくっきりと浮かび上がらせた本作の読みどころを、元陸上競技選手の為末大さんが紹介する。

【ハイパーインフレとは】
ハイパーインフレーションの略。急激なインフレになることで、具体的には過度に物価が上昇し、通貨の実質的な価値が失われていく状態のことだ。経済学者フィリップ・ケーガンは「インフレ率が毎月50%を超えること」をハイパーインフレと定義しており、国際会計基準の定めでは「3年間で累積100%以上の物価上昇」をハイパーインフレの定義としている。なお、歴史上ハイパーインフレに陥ったのはドイツのほかに、ジンバブエが例として挙げられることが多いが、ロシア、トルコ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラなど多くの地域で発生している。

為末大・評「人間と社会を破壊するハイパーインフレの悪夢」

 子供の頃、当たり前のようにあるものがなくなったらどうなるんだろうとよく頭の中で思い浮かべていた。ちょうどブルーハーツの「情熱の薔薇」で「今まで覚えた全部出鱈目だったら面白い」と歌われた頃だ。

 もし通貨が出鱈目になったらどうなるのだろうか。それが想像ではなく、第一次大戦後の欧州で現実に起きた様子をつぶさに描いたのが本書である。ハイパーインフレに見舞われたドイツ国民が大混乱する中で、自らの資産は守られているイギリスの駐ドイツ大使が冷静に状況を観察し本国に報告している。その報告書が縦軸となって描かれている。

 読んでいて桁が全くわからなくなるほど通貨の価値が下落する。それがハイパーインフレだ。例えば一つの目安として、インフレ以前では5000億個の卵が買えた値段で、1個の卵しか買えなくなった。つまり通貨に5000億分の1の価値しかなくなったということだ。しかもそこまでいくのにかかった時間はたったの5年である。そのような状況下で、印象的なことが三つある。

 一つは、ハイパーインフレの最中は人々が通貨の価値が下落しているとは思わないということだ。本書には何度も「一マルクは一マルク」という表現が出てくる。これは自国の通貨の価値は変わらないと信じていることを象徴している。例えば過去を振り返る中、次のようなコメントが紹介されている。

「“ドルがまた上がる”と、みんなが言っていました。でも実際には、ドルの値はそのままで、マルクが下がっていたんです。でも、マルクが下がっているとは、なかなか思えませんでした」

 ドルが上がる、物価が上がるとは皆考えるが、マルクが下がっているとは考えなかった。それはまるで下りのエスカレーターに乗っているのに自分が降りているのではなく地面が上がっていると思うようなものだ。実際の下り方はエスカレーターのような生やさしいものではなく急降下に近かったが。

 次にハイパーインフレは人間の醜い部分を最も暴き出すということだ。この本のタイトルはハイパーインフレの「悪夢」だが、ハイパーインフレが引きおこした最も恐ろしい出来事は、人間に対する失望ではないかと思う。皆平等に貧しくなるのであればまだ良かった。だが、ハイパーインフレは通貨の下落であって全ての価値の下落ではない。だからうまく価値が変化しないものを所有できた人間は、驚くべき早さで大富豪になっていった。うまくやってとてつもないお金持ちになる人がいる一方で、マルクにしがみついて全てを失う人もいた。一つの選択ミスで転落する人と上り詰める人が出てくる。汚職も溢れ、人が信じられなくなる。差別感情が渦巻き、嫉妬し、そしてその憎悪の一部がユダヤ人への迫害に向かっていく。

 三つ目は、インフレの原因であるはずの通貨の過剰発行を、原因ではなく解決方法だと思っていたということだ。インフレの入り口は良かった。国債を発行しマルクが国中に溢れた。失業率は低下し、株価も上がった。ところが次第にそれに歯止めがきかなくなる。

 本書を読んで思い出したことがある。私がまだアスリートだった時代に、長い間不調に苦しんでいる選手がいた。まだ定期的な血液検査も一般的ではなかった時代だ。あまりに調子が上がらないので、病院に行くと、これは貧血ですねと診断された。原因がわかったので鉄分を一生懸命とり始めた。するとみるみる調子が良くなった。これだと思った本人はどんどん鉄分をとった。するとしばらくして、調子が上がるどころかむしろ悪くなり始めた。まだ足りないんだと、どんどん鉄分の量を増やすとさらに悪化した。困り果ててまた病院に行ったところ、今度は鉄分の過剰摂取で胃腸にダメージがきているということだった。

 小さな成功体験の後、「対策」だと思っていたものが問題を引き起こす「原因」になっていることに気がつかなくなっていくのだ。国債を発行しさえすれば景気が良くなるのだと学習してしまったかつてのドイツのように。

 日本円に価値があるのは日本円を手に入れた後、次に誰かが欲しがってくれるとわかっているからだ。でも、ドイツで起きたように次の人が欲しがらないかもしれないという疑心暗鬼に駆られたらどうなるのだろうか。

 お金が全てではないと言う。確かにそうだが、しかしお金の信頼そのものが失われた時、失われるのはお金だけでなく人間性もそうなのだろうと思う。直接的な原因とは本書では書かれていないが、このハイパーインフレの後、ヒトラーが台頭しナチスドイツが誕生して、そしてユダヤ人迫害が起きていく。人間性も通貨もそれは確かにあるのだとお互いが信じあうことで成り立っている極めて危ういものなのだ。

新潮社 波
2023年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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