<書評>『一睡の夢 家康と淀殿』伊東潤 著
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
◆天下は次代に引き継ぐか
この長篇は、「大坂の陣」の数年前、慶長十年から始まる。そして作者は次のように記す──「家康は六十四歳、(豊臣)秀頼は十三歳になっていた」と。
誰の下にも平等に訪れる時の流れ。しかし天下の覇を争う者たちにとって、それは決して平等ではない。家康は子の秀忠を将軍に選んだからには、最後の峠を越えるまでは倒れられぬなと神仏に祈りたい心境であったし、「上洛(じょうらく)して秀忠の将軍就任を祝え」という使いを聞いた淀殿、すなわち茶々は怒り、「もし無理強いするなら、秀頼を殺し、私も死ぬ」とまで言ってのけた。
何故二人にこのような価値観の差が現れたかといえば、家康は「わしの威権こそ、徳川家の最後の寄る辺なのだ」といい、茶々は母である市の遺訓、「女にとって誇りが最後の寄る辺」であるという考えがあるからだ。
したがって本書における両者の最大の争点は、家康の目の黒いうちに徳川の政権を樹立出来(でき)るか、あるいは茶々の目の黒いうちに豊臣家の命脈をつなげることが出来るのか、その争いにつきる。
こうした展開であるから、本書においては弓矢の戦いよりも、権力を支える知謀、経済、長寿のための熾烈(しれつ)を極めた戦(いく)さが眼目となる。
作者はこのなんとも重苦しい対立の中に、親子の情愛という一片の哀感を盛り込みつつ、例えば、藤堂高虎の人物評を、わずか二行で的確に仕上げるなど、両者の大乱に関わった人物を巧みに評していく。
作者は家康と茶々の対立を描いているようでいて、回想では信長や秀吉も挿入され、つまりは戦国の全体像が捉えられていることになる。その中で信長、秀吉に出来ず、唯一家康がやろうとしているのは、天下を次代に引き継がせることなのである。
それが出来ぬかぎり家康の天下は彼だけの「一睡の夢」に帰してしまうのだ。天下統一の先に何を見るのか──累々(るいるい)たる屍(しかばね)の山に吹く無常感あふれる一巻といえよう。
(幻冬舎・2090円)
1960年生まれ。歴史作家。『国を蹴った男』『巨鯨の海』など多数。
◆もう1冊
『合戦で読む戦国史 歴史を変えた野戦十二番勝負』伊東潤著(幻冬舎新書)