『別れの色彩』
- 著者
- ベルンハルト・シュリンク [著]/松永 美穂 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784105901868
- 発売日
- 2023/03/01
- 価格
- 2,310円(税込)
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『別れの色彩 (原題)Abschiedsfarben』ベルンハルト・シュリンク著(新潮クレスト・ブックス)
[レビュアー] 辛島デイヴィッド(作家・翻訳家・早稲田大教授)
過去を償う男描く9編
長編作家がその本領である長い小説に取り組んでいる合間に、思いがけず書かれてしまったかのような短編に強く惹(ひ)かれる。そこには作者のオブセッションがぎゅっと凝縮されていると感じられるからだ。
本作は、1990年代に長編小説『朗読者』で世界的に注目されるようになった著者の最新の短編集。そこに収録されている短編も、おそらくその部類に入るのではないだろうか。
「別れ」や「再会」が描かれる9編では、記憶の揺らぎ、罪の意識、若き恋、和解など、著者が大切にしてきたモチーフが、家族や恋人関係という個人的領域で探求される。
主人公のほとんどは、人生の折り返し地点をゆうに超えた男たち。数学者、歴史家、作家などの職業でそれなりの成功を収めてきたが、私生活で犠牲にしてきたものも少なくない。
そんな彼らに、大切な人たちとの別れが訪れ、過去の記憶が呼び覚まされる。美しい思い出もあるが、後悔や罪の意識も重くのしかかってくる。打ち寄せてくる記憶が、長年封印されてきた感情を解き放ち、彼らを行動へと駆り立てる。
過去を封印したり、記憶を都合よく捻(ね)じ曲げたりしようとする者もいるが、真面目なシュリンクの主人公たちの多くは、過去の過ちと真摯(しんし)に向き合う。赦(ゆる)しを得るのが難しいときも、何とか和解をたぐり寄せようとする。
どの作品も、語りは軽やかなのに、登場人物に深みがあり、長編のようなしっかりとした読み応えがある。ベテラン作家ならではの安定感があるが、同時に冒険心も忘れていない。主人公たちの回想に触発され、読み手の記憶も次から次へと引き出されていく。
どれも数十年後に読み返してみたいと思う秀作ばかりだが、その時にはどのような記憶が呼び覚まされるのだろうか。過去と向き合う準備はできているだろうか。楽しみでもあるが、少し恐ろしくもある。松永美穂訳。