『口訳 古事記』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
<書評>『口訳 古事記』町田康 著
[レビュアー] 藤沢周
◆虚構のエネルギー注入
開いた頁(ページ)に、含んでいた茶を思わず噴き出す。かような無礼は、「不敬」となるのであろうか。
なにしろ、天地の始まりから神々の誕生、天皇家の皇位継承について描かれた、畏れ多くもこの大和に現存する最古の書物『古事記』を繰っていての話である。
「けど、ものごっつ、おもろいねんもん」と関西弁になってしまうのは、町田康の口訳『古事記』のせいである。
「変体漢文」「上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)」の難儀な『古事記』原文が、関西弁のボケとツッコミのラッシュのごとき町田節により、疾風怒濤(しっぷうどとう)、千変万化、抱腹絶倒の、「上方特殊変態仮名草子」とでも呼ぶべき前代未聞の日本神話となって生まれ変わったのだ。茶ァくらい噴き出しまんがな。
たとえば、「天孫降臨」の少し手前に、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が、大国主神とその子、建御名方神(たけみなかたのかみ)に会い、葦原中国(あしはらのなかつくに)(日本のこと)の支配を譲れと迫るシーンがある。《「譲らん言うてるやろ。そない欲しいねやったら力ずくで取ったれや」「まままままま」「なにが、ままま、じゃ」》
こんな会話の後、勇んだ建御名方神が建御雷之男神の腕を取る。《そうして、グイッとねじ上げようとして、「ちべたっ」と叫んで手を放した。建御雷之男神がその偉大な霊力によって自らの手を氷の柱に変えたからである》
原文を訓読してみれば、《「誰ぞ我が国に来て、忍び忍びかく物言ふ。然あらば力競べ為む。故我まづ其(そ)の御手を取らむ」といふ。故其の御手を取らしむれば、すなはち立氷に取り成し》(中村啓信訳注『新版 古事記 現代語訳付き』)。
つまりは、『帝紀(ていき)』を撰録(せんろく)し、『旧辞』を調べて、偽りを削り実を定めた勅撰(ちょくせん)的史書であると天武天皇が詔したという『古事記』を、正史ではなく、徹底して稗史(はいし)として暴力的なほど虚構のエネルギーを注ぎこんだのが、この口訳なのだ。上代の「古事」が町田康の想像力によって、最もおもろく新しい「今事」となったのである。
(講談社・2640円)
1962年生まれ。作家。著書『くっすん大黒』『告白』など多数。
◆もう1冊
『ファロスの日本史』平野純著(楽工社)。ファロス(男根)文化から日本史を読み直す。