『禍』
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引き返せぬ体験型アトラクション小説 今年のベストワン、最有力候補!
[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)
カバーの大半を覆う「禍」の文字(よく見ると、人間の手や足や体や目玉や本で出来ている)がなんとも禍禍しい。怖いもの見たさでページを開くと、最初の短編「食書」はいきなり公衆便所から始まる。語り手の売れない小説家がショッピングモールの多目的トイレの引戸を開けたとたん、本を膝に置いて便器に座っている小太りの女と鉢合わせする場面。女は本のページを破っては、丸めて口に入れ、咀嚼している。立ち去ろうとする“私”に向かって、彼女は言う。「絶対に食べちゃ駄目よ!」「一枚食べたら……もう引きかえせないからね」。
そして、ここまで5ページを読み進んだあなたも、もう引きかえせない。悪魔的な文章の力に雁字搦めにされ、魅入られたようにページをめくりつづけることになる。ふん、本を食べる話なんて別に珍しくもないし――と思う人こそ、ぜひ本書を手にとってみてほしい。そこには、まだあなたが知らない世界がある。
というわけで本書は、昨年、吉川英治文学新人賞と日本SF大賞をW受賞した『残月記』の著者・小田雅久仁の、待ちに待った第一短編集。2011年から22年にかけて〈小説新潮〉に発表された全7編を収める。いずれも、ふとしたきっかけで日常から非日常へと踏み込んでしまう物語。口、耳、肉、鼻、髪など、身体各部が各編にフィーチャーされる。
たとえば「耳もぐり」は、耳から他人の体の中に入る秘技を伝授されて人生が一変した男の話。「柔らかなところへ帰る」では、「お隣、よろしいですか?」と大柄の肥えた女がバスの隣席に座ってきたことから、肉の海に溺れる。最強にエロい官能小説のようなこの導入部の吸引力!
発売前からコミカライズがスタートし、海外に翻訳権が売れ、重版が決まるなど、すでに話題騒然。ある意味、体験型アトラクション(戦慄迷宮とか)のような本でもある。今年のベストワン、最有力候補。