迂闊だった…展開が読めそうと油断したら手玉に取られる “読書の快楽”を感じる一冊とは?

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禍

『禍』

著者
小田 雅久仁 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103197232
発売日
2023/07/12
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 SF・ファンタジー]『禍』小田雅久仁

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 索漠たる世界の冷たい熱量と、緩みのない文章がもたらす興奮。一昨年刊行された小田雅久仁の九年ぶりの作品集『残月記』は、待っていた読者の期待を裏切らない濃密な一冊だった。2022年の日本SF大賞と吉川英治文学新人賞を同時受賞したこの前作に続いて、七つの短篇を収録した『禍』(新潮社)が間を置かずに発売。一瞬、「渦」かと思ったが、渦でもよかったんじゃないかとページをめくりながら思った。排水口の中へ渦を巻いて流れていく、得体の知れない濁った液体を見つめながら、なぜ自分はこれを見つめているのだろう? と頭のどこかで問いつつどうしても視線を外せない、そんな読み心地なのだ。

 書きあぐねている作家があることに手を出してしまう「食書」、失踪した恋人を探す男が、彼女の隣人から奇怪な話を聞かされる「耳もぐり」、子供の頃から“あちら側”の気配を感じていた男と、そこからやって来た女との暮らしの果てを描いた「喪色記」、バスで隣席になった〈肥えた女〉に、平凡な会社員が妄想を募らせてゆく「柔らかなところへ帰る」……前半四作を読んでいるうちに、部屋の空気がなんだか粘り気を帯びてきたかのように感じられ、とりあえずひと息つく(時々、作品紹介の惹句として「一気読み」が用いられることがあるけれど、個人的にはこうやって時折休まないと読めない作品が好きだ)。

 再び本を開き、次の「農場」にとりかかる。二十代の路上生活者・輝生が謎めいた人物に声をかけられ、“農場”なる場所に連れて行かれるという導入部。ああ、きっとここではヘンなものを作っていて、彼はそれに加担させられるんだろうなとすぐに想像がつく。その通りだった。農場は外界から隔てられ、輝生のように方々から集められた人間たちは寮で暮らしている。彼らが育てる作物の元(種芋のようなもの)はなんと人の体の一部で、ここで作られているのは、つまり――

 物語の前半に、農場の〈研究所〉に備えられた〈保苗槽〉なるタンクを輝生が見学する場面がある。彼が抜き差しならない仕事に携わるのだとすぐに分かる。展開が読めた気になると安心するというか、油断のような余裕が心に生まれるものだ。著者はその余裕を手玉にとる。怖いのは筋よりも描写なのだとページをめくりながら再確認し、一瞬でも油断するなんてとんでもなく迂闊だったと読者は思うだろう。

 六つ目の「髪禍」は、髪を信仰の対象とする宗教の儀式が、そしてラストの「裸婦と裸夫」は、フラッシュモブのように人々が服を脱いでいく様が笑いと不安と恐怖とを同時に呼び起こす。この一冊自体が一気に加速度を上げて破滅へと突き進んでいるかのように思えてくる。読み終えて脱力する。明らかに疲労を感じている。物語世界から解放されて安堵し、大きく息をつく。これも読書の快楽だ。

新潮社 小説新潮
2023年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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