『寝煙草の危険 (原題)LOS PELIGROS DE FUMAR EN LA CAMA』マリアーナ・エンリケス著(国書刊行会)

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寝煙草の危険

『寝煙草の危険』

著者
マリアーナ・エンリケス [著]/宮﨑真紀 [訳]
出版社
国書刊行会
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784336074652
発売日
2023/05/25
価格
4,180円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『寝煙草の危険 (原題)LOS PELIGROS DE FUMAR EN LA CAMA』マリアーナ・エンリケス著(国書刊行会)

[レビュアー] 池澤春菜(声優・作家・書評家)

恐怖 生々しく匂う12編

 人生には何度か、読むことで自分が変わる本との出会いがある。読みながら自分が言葉で塗り変わっていく、書き換えられていくような、鳥肌立つ経験。ああ、出会ってしまった、という諦念にも似た気持ち。

 普段本を読むのは早いほうで、だいたい1冊1日。だけどこの『寝(ね)煙草(たばこ)の危険』は一気に読むことができなかった。1日に短編1、2編。先を読みたくなる心に必死で手綱をかけ、少しずつ少しずつ。これは、劇薬だ。

 死んだ赤子の幽霊につきまとわれる「ちっちゃな天使を掘り返す」。恐怖を知らない子供が恐怖に取り憑(つ)かれ崩壊していく「井戸」。病んだ心臓の鼓動に魅せられ、恋人と危険な遊戯に耽溺(たんでき)していく「どこにあるの、心臓」。怪死したカリスマ的なロックスターの熱狂的なファンの女の子たちがおこした事件を描く「肉」。誘拐され、家出をし、体を売り、ドラッグ漬けになった行方不明の子供たちがある日帰還する「戻ってくる子供たち」。12本の短編、そのどれもが切り開いたばかりの傷口のような、美しさと痛みに満ちている。あふれ出る血から目を離せないような、おぞましい蠱惑(こわく)。

 子供と女性、年寄り、思春期の不安、アルコール、ドラッグ、貧困、呪い、悪意、生と死と性、濁った鏡の向こうに見えるような恐ろしいビジョンたち。そしてなにより匂い! ページから、行間から立ち上ってくるような生々しい匂い。脳内を満たすこの匂いは鼻を摘(つ)まんでも逃れられるものではない。

 「nueva narrativa argentina(新しいアルゼンチンの物語)」と呼ばれるグループに属しているマリアーナ・エンリケス。ブエノスアイレスの女性たちによる小さな文学革命の一翼を担っているとも言われ、その作品はアルゼンチンのみならず世界を震わせている。

 装丁もとても美しい。電子書籍もあるが、ぜひこれは紙の本で手に取ってほしい。宮崎真紀訳。

読売新聞
2023年8月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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