『まぼろしの枇杷の葉蔭で 祖母、葛原妙子の思い出』
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思い出と混乱の館で暮らしたある歌人のメモワール
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
葛原妙子の短歌がSNS上で密かに広がっているらしい。大胆で幻想的、ちょっとゾクッとするような歌柄だ。塚本邦雄をして「幻視の女王」と言わしめた。
本書は葛原の孫による祖母のメモワール。思い出話に留まらず、家族だけが知る事実を手がかりに歌人の深淵へと降りていく。
大森にあった葛原の家は凝った造りで、玄関の廊下には三本の飾り柱があり、窓にはステンドグラスが嵌まっていた。「建築に興味があった祖母があちこちに手を入れ」たのだ。
内装には凝るものの、部屋の中は混乱状態。苗木を植えるのは好きでも、手入れはせず庭は野性的。つまり物事の維持管理には興味のない人だった。家事をせず、掃除も洗濯も祖父がしていたというから、明治四〇年生まれの女性としては破格である。夫は外科医で敷地内で医院を開業していたが、夫婦仲はよくなかったという。
体格がよく、上背もあり、和服で正座すると膝の位置が人よりだいぶ高くなる。室生犀星は彼女に「イシのようなひと」と渾名をつけた。葛原は犀星に憧れ、犀星もまた彼女の才能を讃えたが、二人が漂わせる雰囲気は好対照をなした。
犀星の絶筆の詩に、老いの哀しみを、畳をはっていく伊勢えびに重ねた「老いたるえびのうた」がある。このえびを贈ったのは葛原だったという。生き物を愛する犀星に、なにを思って生きたえびを贈ったのか。著者は祖母の行動に首を傾げつつ、こう結ぶ。「伊勢えびにも犀星にも残酷な話ではあるが、詩人の運命においては時としてこういうことも起こりうるのだろう」。
最後の章で筆は再び大森の家にもどり、その家の光と闇のコントラストを強調する。「私は知っている。祖母が数々の幻を歌うことができたのはあの家だからだったということを」。
思いつきと混乱に満ちた家の中に、日常から飛躍する種が潜んでいた。