『「逆張り」の研究』綿野恵太著

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「逆張り」の研究

『「逆張り」の研究』

著者
綿野 恵太 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784480823830
発売日
2023/06/28
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『「逆張り」の研究』綿野恵太著

[レビュアー] 小川哲(作家)

熱狂に水 「弱者」への同情

 「逆張り」とは本来、「相場の流れに逆らって売買すること」を意味する投資用語だった。調子の良い会社の株を売り、人気のない株を買う。ウォーレン・バフェットをはじめ、一流の投資家が採用している戦略の一つだ。その言葉が、今では「良識を嘲笑(あざわら)うような意見や、常識的にはありえない主張」を表現する、ある種の罵倒として用いられている。本書の著者は、不本意にも自分が「逆張り」の代表者だと見なされた経験から、「逆張り」とは何か考えることになる。

 たとえば世間がW杯の話題で盛り上がっているときに、サッカーに興味がないことを表明する。評判の良い映画作品を「つまらない」と指摘する。「逆張り」とは、人々の熱狂や感動に対して水を差すような行為である。水を差すことの是非は置いておいて、著者は「逆張り」が発生するときの前提として、「熱狂」や「感動」といった感情表現や身体感覚が存在することを指摘する。こういう感覚は評者にもよくわかる。アカデミズムにおいては、感情表現や身体感覚を可能な限り排した、論理的な文章でなければ評価されない。(本書の題にも含まれている)「研究」とは、客観的なものでなければならないからだ。かつてインターネット上において中心的だった「研究」型の考察が衰退し、感情表現や身体感覚が重視されるようになった過程を分析している箇所などは、かつて評者が小説を書くようになったころに考えていたこととかなりの部分で一致する。

 しかしながら、評者が考える本書の白眉は、「研究」という題の本意から逸脱し、著者の個人的な経験を元にした主観によって描かれた、「弱者」への同情の吐露にあるように思う。著者は、「弱者」として守る価値もないとされた人物――「遊び人や怠け者、ならず者、不届きもの」などに惹(ひ)かれてしまうという。世間の攻撃の的として存在し、文学でも敵として存在することの多い、この種の「弱者」に対する眼差(まなざ)しに、本書が最後まで守ろうとしている「逆張り」の本質を読みとった。(筑摩書房、1980円)

読売新聞
2023年10月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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