『善と悪の生物学(上)』
- 著者
- ロバート・M・サポルスキー [著]/大田 直子 [訳]
- 出版社
- NHK出版
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784140819456
- 発売日
- 2023/10/26
- 価格
- 3,960円(税込)
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『善と悪の生物学 何がヒトを動かしているのか 上・下』ロバート・M・サポルスキー著
[レビュアー] 小川哲(作家)
行動の根源 人類史遡る
悪質な罪を犯してしまった人物に対して、私たちは二通りの見方をする。一つは「こんなことをするなんて許せない」という見方で、もう一つは「こういうことをさせてしまう環境が悪い」という見方である。罪に対してどこまでも寛容であろうとすると、「もし罪が環境のせいならば、この世に『悪』など存在しないのではないか」という極論に陥りやすい。
誰かが誰かに発砲したとする。引き金を引いたのはそういう脳状態にあったからで、そういう脳状態に陥ったのは本人の性質のせいで、本人の性質は遺伝子情報のせいなので、本質的な責任はないのではないか。自由意志が存在しないのなら、善も悪もすべて人為とは無関係なものなのではないか。
本書には、このような無限後退に陥る際に、私たちが考慮すべきさまざまな要素が書かれている。誰かが何かの行為をした瞬間、脳内で何が起こっているか。その瞬間の数秒前から数分前には何が起こっているのか。数時間前は? 数日前は? 子どものころは? 本書は受精卵まで遡り、さらには生まれる前、社会が形成されていく歴史にまで遡る。善や悪が人為であるならば、その原因として何が考えられるだろうか――人類史を振り返ることで、善と悪の原因を探る旅のガイドマップが示されていく。
善も悪も、人間の行為に関する価値観でありながら、文化や社会や時代によって移りゆくものである。脳と社会は共進化しており、分離して考えることは不可能だ。本書はこの難しい問いを生物学、行動経済学、認知科学、社会学、哲学、法学などの知見を軸にして、丁寧に検証していく。鍵となるのは「複雑さ」だ。遺伝か環境か、認知か感情か。善と悪を決定づける単純な理論は存在しない。我々はさまざまな要因に突き動かされ、意識と無意識の中間で決断を下したり、保留したりする。その「複雑さ」の中に、人間を人間たらしめる本質があるのだ。本書を読んでおけば、安易な結論に飛びつくことを防げる。人間と社会の見方が変わる一冊だ。大田直子訳。(NHK出版 上3960円、下3850円)