漱石にインスパイアされた文体で描く21世紀の青春&上京小説

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夢分けの船

『夢分けの船』

著者
津原 泰水 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309031286
発売日
2023/10/12
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

漱石にインスパイアされた文体で描く21世紀の青春&上京小説

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

『夢分けの船』は、二〇二二年十月二日に逝去した津原泰水の最後の長編小説だ。主人公の秋野修文は二十二歳。映画音楽を学ぶために四国から上京し、風月荘というマンションの七〇四号室に住むことになる。そこは入学予定の専門学校に近い防音の部屋で、ピアノもついているのに家賃は破格の安さ。しかし、三代前の住人で、バルコニーから飛び降りて亡くなった女性・花音の幽霊が出るという噂があった……。

『ブラバン』『クロニクル・アラウンド・ザ・クロック』など、著者はこれまでも音楽をテーマにした素晴らしい青春物語を書いてきた。本書がなんといっても出色なのは、夏目漱石にインスパイアされた文体だ。巻末に引用された著者の言葉によれば〈青春を描くには現代文学の青春時代(=明治)の文体が合っているのではないか、それは21世紀の青春とも化学反応を起こしてくれるのではないか、というのがそもそもの執筆の動機〉だという。その新鮮な試みは、見事に成功している。

 例えば、緊張しながら学校の最寄りの代々木駅まで辿り着いた修文が安堵と落胆を同時におぼえるくだり。〈目映い海を越え黄泉路が如き新幹線の移動を経て猶、未だ郷里の何等瞠るべくもない道々の続きに立って居る。茲は海辺の飛び込み岩のような街だろう。無鉄砲を気取った若者が三々五々に集結し、怖々と下を覗いて自分の飛び込みを予想する。身が可愛いから真に飛び込む者は数少ない。縦本人がその気でも周囲が中々許さない〉。漱石の『坊っちゃん』や『三四郎』を彷彿とさせる、若者の無謀さと迷いが伝わってくる。

 街に飛び込んだ修文は、同じ学校の学生にバンド活動に誘われ、風変わりな人々に出会う。〈夢分けの船〉というタイトルは、花音の死の謎とつながっている。音楽という夢は幽霊のように儚いけれども、修文が目に見えないはずの音を視る場面は圧巻。東京の風景も切なく美しい。

新潮社 週刊新潮
2023年11月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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