泣いてもいいし、笑ってもいい 岸政彦『にがにが日記』

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にがにが日記

『にがにが日記』

著者
岸 政彦 [著]/齋藤 直子 [イラスト]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103507246
発売日
2023/11/01
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

泣いてもいいし、笑ってもいい

[レビュアー] 朝井まかて(作家)

朝井まかて・評「泣いてもいいし、笑ってもいい」

七月二十八日(金) 東京出張最後の夜。下戸ながら口は卑しいので会食でワインを飲み、ほろ酔いで新幹線に乗る。スマホをチェックしたら、新潮社の担当編集者yukiちゃんからメールが入っていた。開いてびっくり。岸政彦さんの『にがにが日記』の書評依頼だ。この人はいつも変化球を投げてくる。畏れ多い作品の解説をせよ、などとしゃらっと言う。こちらはお調子者やから面白そうと思ったら後先を考えずに引き受けてしまい、締切前にとても後悔する。

 今回は、正確には同僚のtbtさんからの依頼らしい。あれ、tbtさんとyukiちゃんは夫婦では?と新幹線の天井を睨む。会ったことはないがメールに写真が添付されていたことがあって、若い頃の松尾スズキに似てるねと返信したらスルーされたんやった。この夫婦、油断禁物やわ。返事を待ってもらうことにする。

八月十八日(金) 『にがにが日記』のゲラが届く。やはり書評のお仕事を受けてしまった。何でやろう。著者の岸政彦さんが社会学者であることにビビってたのに。tbtさんいわく“生活史という手法で社会を研究し、小説も書かれている人”である。蕪雑な頭しか持ち合わせていないわたしが評することなどできるのか。そもそも日記に評が成立するのか。感想しか書けないような気がする。

 問題はまだある。岸さんとお連れ合いのおさい先生が愛してやまない、きなことおはぎ。わたしにも猫と暮らした日々がある。二十四年という時間を一緒に生きた。今、あの子のいない世界で生きていて、その淋しさと悲しさは乗り越えようとは思っていない。ずっとこの胸に抱いていればいいと思って過ごしてきたけれど、『にがにが日記』を読んだら何かが崩壊するような気がした。でもお引き受けした。むこうみず。

八月二十日(日) 岸さんとの微かな共通点を探れば、まず猫。そしてこの大阪で暮らしていること、NHKの「ネコメンタリー」に出演したこと、織田作之助賞を受賞したこと、イーユン・リーの『千年の祈り』が好きなこと。それと沖縄。岸先生(学者としての岸さんには「先生」をつけることにする。作家としては、互いに「先生」とは呼ばないので「岸さん」)は長年沖縄に通って人々の生活を記録した人だ。人生の記録。頭が下がる。わたしは祖母が沖縄出身で、けれど祖母は若い頃に亡くなっているので写真でしか知らない。沖縄のことを何もわかっていない。祖母の琉球名を筆名に使っているのに。

八月二十六日(土) 日記文学は一気読みではもったいないし、こなたの感情もめまぐるしくなるので、『にがにが日記』を読みながら『リリアン』も併読する。岸さんの文体、ええなあと感じ入る。呼吸のままの純粋な文章だ。日記も小説も別れを別れのままに書いていて、理由や意味やその後を追わず、息だけが響く。牛乳の匂い。でもかえって、誰かと一緒に過ごしたぬくもりが沁み入ってくる。しいんとする。自己の他者化とはこういうことなんやろうか。客体化と言うべきか。
 それにしても岸さん、炭水化物王ですね。揚子江ラーメンはわたしも大好き。あ。これは書評やった。自分のことをつらつらと書くのは行儀がよろしくない。でも、この日記はつい対話してしまう。天王寺の大阪市立美術館への思いに頷き、あの建物はほんまにええねんと呟く。喫茶室はまだあるんやろうか。古くて美しいもの、猥雑なものが大阪からどんどん消去されてゆく。岸さんはふと書く。――天王寺公園で寝てたおっちゃんたちはどこ行ったんやろなあ。これには、西成で生きてはりますよと胸の中で答えた。ワンカップ片手にドラム缶の焚き火を囲んでる姿を路面電車の窓から目撃したことがありました。冬の朝。懐かしくて、幻みたいやった。

九月三日(日) 岸さんのことをネットで調べたりせず、ネコメンタリーのDVDもあえて観ないままだ。文章のみに接して、おさい先生のイラストがページを繰る楽しみになっている。岸さんのワルな目つき、頓狂な言動が登場するたび笑う。今いくよくるよ師匠の前でベースを弾いたことがあるという何げない一文には、激しく尊敬の念をかき立てられた。すごい人なんやな、岸さん。ファンには「そこかよ」と突っ込まれそうやけど。

 憧れてやまぬのは、岸先生と学生さんたちの仲。学生時代にこういう兄さんと出会ってたら、わたしの人生も違うたやろな。気がついたら横に立ってくれてる人。自身は時々死ぬことを考えながら、若者と犬猫には精一杯の笑顔をくれる人。「ごめんな」みたいな笑顔。

 学生さんが撮ったという、お花畑の中の岸さんの写真には驚いた。想像の何倍もかっこよくて。でも、写真の真上に「解像度不足」とゴシックの五文字が置いてあるのに噴き出してしまう。ゲラだからデザイナーさんのメモやろうけど、絶妙。

九月十七日(日) 日にちが空いてしまった。というか、これ“日記返し”ですね。書評のはずなのに何のお返し? わからんけど。『図書室』も併読しつつ『にがにが日記』を読んで、やはり追わない人だなと思う。追わずに、ひとりで潜ってゆく。喪失こそが読む者に強く記憶される。静かな光を見る。

九月二十四日(日) 昨夜はとうとう『にがにが日記』所収の「おはぎ日記」に入った。おはぎを看取る日々に接するには勇気が要る。うちの猫の最期を思い出してしまうから。
 でもいざ読み始めると不思議なことが起きた。わたしは立ち会っていた。自分の体験に重ねることなく、その場にいた。やわらかなお腹が上下する。からだがだんだん硬くなって、でもまだぬくみも残っている。立ち会ったといえども岸さんとおさい先生のうしろで棒立ちになっているだけで、肩や背中に手を置きそうになりつつ、そんなものは要らないことも知っている。ただ見ているだけ。きなこの姿も見た。おはきなの姉妹。ほんまに可愛かった。

 そう、来る日も来る日もジョボーの始末をした。ある朝など、ベッドに上がって胸の上に香箱坐りをして、わたしを見下ろして喉をゴロゴロ鳴らしながらジョボーした。濡れたおふとんごと抱きしめた。あの子が生きていることがただ嬉しくて幸せだった。あかん、やっぱり重ね合わせてる。目の中がふるえる。
『にがにが日記』はひとりぼっちの音楽だ。切なくて可笑しくて、時々、とても遠くへ連れていかれる。彼岸の間で耳を澄ませる時間。泣いてもいいし、笑ってもいい。

新潮社 波
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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