『ともぐい』
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首筋を血が伝わる感覚 圧巻のシーンの連続だった
[レビュアー] 東出昌大(俳優)
「人間も動物である。はずなのに」と思うことがしばしばある。
この物語は文明開化後の狂騒と開拓の熱狂が残る明治後期の北海道で、里から離れた山の中に住み「自分も動物も同じ一つの命だ」と考える猟師の男が主人公だ。普段から命と向き合い生活している男の居住い、少ない言葉から読み取れる思考は、文明の中で生きる人々から見れば粗暴に映る。しかし「美味いものがあれば食う」「メスがいれば交尾をする」「生きるために狩る」と言うだけで、そこに欺瞞や虚飾はない。それはまるで、寒さ厳しい雪山で、裸一貫で逞しく生きる動物のようだ。
本を読み進めるうちに、里で社会を形成し暮らす人間の考え方に不自由さと違和感を覚える。それは現代にも共通する「嘘くささ」のようなものではないだろうか。
鹿撃ちのシーンがある。その描写に驚かされた。雪の上に飛び散る血の鮮やかさや、腹を裂いた時に立ちのぼる湯気。筆致豊かなそれらの表現に、自分もそこに立ち会っているような錯覚を覚えるほどだが、真に驚かされたのは山から鹿を下ろすシーンだった。内臓を抜き、腹の中がぽっかり空洞になった鹿を背負う時、腹腔内から抜け切らなかった血が、首筋を伝わり髪の中にも染み込む。この体験を著者はした事があるのだろうか。山から鹿を下ろした事がある人でないと書けない場面なのではないかと思う。
血が首筋を伝わるこの瞬間の違和感。しかしこれは嫌悪感にはなり得ない。鹿が獲れた喜びもあるが、背負った鹿の死体の重さに、自身が殺したという事実を突き付けられるからだ。死体は半端じゃなく重い。雪を踏み締める足が、一人で身軽に歩いていた時からは想像できないほどに沈み込む。しかしその一歩一歩でまた考えたに違いない。「相手は死んでるんだからこれに対してしんどいとか、気持ち悪いとか言うべきではない」と。そんな経験を繰り返し、この男も無口になっていったのだろう。
物語が進み、男は熊と対峙する。冬眠出来ずに腹を空かせながら冬山を歩く、穴持たずのヒグマだ。いい猟師は動物を想う。熊をただ「凶暴で獰猛な害獣」と考えるのではなく、熊にも熊の道理と事情がある事を認め、熊の視点に立って物事を考えようとする。これ以上は書けないが、圧巻のシーンの連続だった。
冬山の厳しい寒さを経験した事の無い人に、「厳しさも豊かさである」と教えてくれる一冊だ。