『蛸足ノート』
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『蛸足ノート』穂村弘著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
本紙の夕刊に連載中のエッセイをまとめた本である。身近な見聞をめぐって考えたことを綴(つづ)ったもの。たとえば、ポストに郵便物を投函(とうかん)したあと、ちゃんと入っているかどうか、裏側に回って確認する癖。これは評者にも覚えがある。だが「アイスモナカのおいしい食べ方」について、周囲の人と好みが違うと気づいたとき、「自分は何かの間違いで地球に生まれてきてしまったのかもしれない」と思う。この感覚が穂村弘ワールドの独自性である。
奇妙な出来事が数多く登場する。眼鏡をくわえて歩くカラス。カレーライスを食べながら自転車に乗る少女。マヨネーズのみをかけた白いスパゲティ。フーフーと口で吹いて蚊を追い払う室井滋。もう一つの世界から現実をのぞきこむかのように、淡々と記し続けている。
しかしもっとも凄(すご)いのは、不思議な細部に目を向けてしまう著者自身だろう。「中学生の時、お昼の弁当が1年間ずっとカッパ巻」でも平気だった人物である。そして、ユニークな言葉で世界の謎を増やしてゆく穂村夫人。凄いという文字のなかに「妻」がいる。(中央公論新社、1980円)