父親と同世代の男と同棲する16歳の少女を主人公にした新たなゲーム文学 遠野遥『浮遊』試し読み

試し読み

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 私は折り返しの電話も返信もしなかったが、碧(あお)くんに災害対策はしているかとDMを送った。してないかもとすぐに返事が来た。父親と碧くんはほぼ同い年だが、全然違う。碧くんの良いところはたくさんあるが、DMの文章が簡潔で、返信が早いところもそのひとつだ。蝋燭とかあったほうがいいかも、買って帰ろうかと送ると、お願いと返事が来た。

 電車を降り、近所のスーパーで缶詰の食べ物と二リットルのミネラルウォーター一本、それから懐中電灯と蝋燭とマッチを買った。食べ物とミネラルウォーターは、もっと買っておかないといけないだろう。でも重いからあとはネットで買ったほうがいいと思った。ネットで買えば、運ぶのは私ではなく配達員だ。いつものように碧くんのカードで支払い、領収書もお願いした。買い物のときにカードを出したり領収書を頼むと、店員さんが私の顔を見てくるのもいつものことだ。

 家に帰ると、碧くんは誰かと電話をしていた。話し方や内容から、相手は碧くんの会社の誰かだとわかった。碧くんはアプリを作る会社のCEOで、会社をつくったのも碧くんだ。でも、碧くんは会社の人みんなに敬語を使う。私は会社で働いた経験がないが、これは普通のことではないと思う。父親が部下の人と話すのを聞いたことがあるけれど、敬語は使っていなかった。学校でも、先生のほとんどは生徒に敬語を使わない。だから、どうしてみんなに敬語を使うのかと碧くんに聞いたら、CEOというのはただの役割で、他の人より偉いわけではないからだと言っていた。

 邪魔をしないように、スーパーの袋をそっと床の上に置いた。私たちが住むこの地球を守るため、買い物のときはエコバッグを使うようにと碧くんから言われているのに、今日も袋をもらってしまった。学校の帰りにふとスーパーやコンビニに寄りたくなることもあるから、学校にもエコバッグを持っていかないといけなかった。でも、つい忘れてしまう。冷蔵庫に入れないといけないものはないから、買ったものの置き場所はあとで碧くんに相談すればいいと思った。食料品の置き場所なら知っているけれど、災害用のものは別のところに置いたほうがいいのかもしれない。

河出書房新社 文藝
2023年2月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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