20代の防大卒業生が考える「平和」とは

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防衛大学校で、戦争と安全保障をどう学んだか

『防衛大学校で、戦争と安全保障をどう学んだか』

著者
杉井敦 [著]/星野了俊 [著]
出版社
祥伝社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784396113681
発売日
2014/06/02
価格
929円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

20代の防大卒業生が考える「平和」とは

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 三島由紀夫から愛好され、大江健三郎から嫌悪されたのが、かつての防衛大生だった。自衛隊がまだ日陰の身だった何十年も前の話である。その頃の若武者のいま現在が、都知事選で六十万票をとった自称“危険人物”の田母神俊雄閣下であり、民主党政権下で民間人初の防衛大臣となった森本敏である。

 集団的自衛権行使容認のニュースに接して、彼らのはるか後輩である防大卒業生の書いた本を読んだ。『防衛大学校で、戦争と安全保障をどう学んだか』である。朝日新聞的な危機感煽りまくりの喧噪にも、上気気味な安倍政権の前のめりにも、ともに違和感があったからだ。

 いざ「戦争」となった時に、実際の任務に携わるのは、当然のことながら自衛隊員である。現役の自衛官が政治向きについて発信することは許されない。しかし、彼らの胸の内を少しでも覗くことはできないか。「防大卒業生が書いた日本でいちばんわかりやすい安全保障の教科書」という帯の文句は、それに応えてくれそうだった。

 二人の著者はまだ二十代半ば、北朝鮮が日本に向けて弾道ミサイルを発射したまさにその日が入校式であった。昨春、防大の国際関係学科を卒業したが、たった一年で自衛隊の制服を脱いでいる。任官拒否組とさして変わらないのではないかという疑問も湧く。シビリアンとなって「制約のない立場から」、安全保障を語り、ミリタリーを見つめたいというのが本人たちの説明である。著者近影の写真を見るかぎり、二人はさわやかな好青年で、合コンではモテそうなタイプだ。「在学中から日本の戦争と平和について真剣に考えてきた変わり者どうし」という自己紹介には、相手が引いてしまうかもしれないが。

 本書を一貫しているのは、防大の四年間に学んだことを一般人に還元するというスタンスである。「日本は戦争に巻きこまれないか」「尖閣で戦争は起きるのか」「アメリカは日本を守ってくれるのか」「積極的平和主義とは」といった疑問にわかりやすく答えようとしている。浮わついた議論が横行する防衛論議を地に足がついたものに変えたいのだろう。

「安全保障の教科書」という側面以上に興味深いのは、やはり防大ではいかなる教育がなされているのかというところである。防大教官陣が執筆した著名な本としては『失敗の本質』(中公文庫)がある。戦史研究がマネジメント書として読まれているロングセラーで、防大発信の数少ない一般書だろうか。防大教授の中には、親中反米を売りにする孫崎亨のような人物も混ざっていた。外交官からの横滑りとはいえ、いかがなものかという人物が防大で要職をつとめていたのだから、油断ならない。防大、大丈夫なのか。

 著者たちの受けた教育の内容を読むと、その点は杞憂のようだった。国防、戦略、戦史、リーダーシップを学ぶ全学生必修の防衛学は現役か退官した自衛官が受け持つ。専門科目では、軍事や戦争を深く学ぶほど「平和とは何か」が実感をともなってくること、新聞三紙を比較して読めという教え。教官たちから受けた刺激の数々により、「良識と教養をともなった有用な社会の一員」である真の武人となることが目標として設定されている。

 著者は防大の教育をこう要約する。「右でも左でも中道でもなく」、「論理的に、科学的に思考し」、あるべき姿でなく、「ありのままの世界を見ようと努力しつづけること」。歴代学校長の訓話からは、初代の槇智雄(吉田茂、小泉信三とともに防大創立の「三恩人」のひとり)と第三代の猪木正道の言葉が引かれる。本書巻頭に置かれた猪木の言葉は「本当の平和主義とにせの平和主義」との違いを強調している。著者たちが共感する言葉なのであろう。ちなみに、二人が学生だった時の第八代学校長・五百籏頭(いおきべ)真は固有名詞では出てこない。過去に卒業式に来賓として出席したことのある塩野七生の言葉が二度引用されるのとは対照的である。

 防大は戦前でいえば士官学校であるから、体育、集団生活、訓練は重要である。その中では、三年生の冬季訓練がハイライトのようだ。硫黄島の戦場跡をめぐる研修である。冬とはいえ、常夏の暑さの硫黄島を汗だらけになって行軍し、硫黄ガスが充満する真っ暗な地下壕にも入る。そこで部隊指揮官の鑑(かがみ)になっている栗林忠道中将の統率を思い、「飢えと渇きに耐えながら、圧倒的なアメリカ軍の攻撃をしのぎつづけた兵士たちに、驚嘆と哀傷の念」を感じる体験である。いまだに戦没者の遺骨が残る硫黄島で、「自己の人生観や死生観を変えてしまうほどの衝撃」を防大生は受けるという。

 日本の平和と繁栄が多くの犠牲の上に築かれていること、それを「幸運にも平和な時代を生きてきた私たちは、防大に入校することがなければ」意識しなかったかもしれないと思い、「あの悲惨な歴史をゆがめることなく直視し、その教訓と平和の尊さを語りついでいくことが重要だ」と意識する。と同時に、この平和と安全を守るには、自衛隊の存在と国民ひとりひとりの強固な「意思」が重要だという結論にと至っていく。

 この他にも、戦時国際法は難解だという率直な感想、日本では一人でも死者が出れば大問題になること、そこが中国とは大きな戦争観の違いであることなど、さまざまな論点を提供してくれる。

 集団的自衛権の論議では、行使は憲法を改正してからにしろという護憲派の声も多かった。憲法改正論議がタブーではなくなり、国民ひとりひとりの「意思」が問われる時代が確実にやってくる。

新潮社 新潮45
2014年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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