“食事は公開、セックスは隠す”の不思議 人の〈こころ〉を研究する
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
人の知的活動は、すべて言語がもとになっている。言語によらずに複雑な考えを構築したり、それを他者に伝達したりすることは、ほとんど不可能である。そして言語の背後には、人間の〈こころ〉がある。
だとすれば、〈こころ〉とはなにか、〈こころ〉のはたらきとはどういうものかを知りたいという欲求は、あらゆる学問分野に共通して内包されているはずだ。世界経済のしくみも、遠い天体や銀河の生き死にも、それを観察したり、把握しようとはたらいている〈こころ〉があってはじめて意味をなすのだ。
ところが、〈こころ〉は研究対象としてあまりにも難物である。分子生物学や神経科学は、脳内で起こる物質的な反応でそれを説明しようとするし、精神分析や心理学はそれを認知の過程としてとらえようとする。両者のあいだには、いまだ共通言語という橋はかかっていない。
ならばそれに挑戦しましょう、というのが、京都大学が立ち上げた「京都こころ会議」である。昨年開かれた第一回シンポジウムの講演録がこの本。いろいろな分野の研究が紹介されるので、難解だと思って身構える人もいると思うが、個々の内容のおもしろさを、単純に楽しめばいいと思う。
「こころの内面化」の歴史を語る河合俊雄は、中世日本の「複式夢幻能」(代表例は『井筒』)や、村上春樹の短篇「偶然の旅人」などを例にとっているし、人間的なこころの起源をさぐる山極寿一は、人間が「食事は公開し、セックスは隠す」ようになったのはいつからかを明らかにするため(ふつう野生動物は、隠れて食べるが交尾は公開である)、サル社会の行動様式を解説する。こんな具体例に興味をひかれて読んでいくうちに、〈こころ〉という山を別々の登山口から登っていた人たちが、ついに山頂で出会う日がイメージできる。未来に夢を描くって、こういうことですよね。