大切な人との別れを、人はどうやって乗り越えて行くのか――伊集院静の出逢いと別れが凝縮した奇跡の物語

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東京クルージング

『東京クルージング』

著者
伊集院 静 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041032657
発売日
2017/02/03
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

哀切な響きの向こうにある希望の光

[レビュアー] 吉田伸子(書評家)

 本書は、著者初の「二部構成」で描かれている。第一部『天使のいたずら』は、著者と思しき小説家「伊地知先生」を主人公にした、実話に基づいた私小説ふうな物語で、第二部『二人の奇跡』は、第一部で「伊地知先生」とともに、ドキュメンタリー番組にかかわったテレビディレクターの、叶わなかった恋をベースにした物語だ。二つの物語には共通する「芯」がある。それが、ゴジラの愛称で親しまれた、松井秀喜選手である。

 第一部は、私=「伊地知先生」が二〇〇三年十月三十日、ニューヨークのグランドセントラル駅からKホテルを目指しているところから始まる。私の隣を歩いているのは、三阪剛という公共放送のテレビ局のディレクターである。若手ではあるが、スポーツ番組で評判になった作品を何本か製作したホープ、その三阪から私が依頼されたのは、メジャー入団一年目の松井秀喜選手を追うドキュメンタリー番組への出演だった。

「松井選手の取材は先生でなくては」

 三阪のその言葉が、私を動かした。もちろん、それだけではない。三阪が私の作品のコアな読者─私が書いた作品をほとんど読んでおり、なおかつ、その作品の中に出てこない言葉や物があることに気がついていた─でもあったからだ。そんな青年からの、熱烈なオファー、しかも取材相手は、あの松井選手、なのである。かくして、二人の取材が始まる。冒頭のニューヨークの場面は、その二人が、初めて松井選手に会いに行くシーンなのである。

 一部で描かれるのは、松井選手の素晴らしさ─プレーヤーとしても、一人の人間としても─と、その松井選手に惚れ込んだ、一人の若きディレクターの情熱と彼自身の人柄の良さに、私が心を通わせていく様だ。何より、その彼が抱えている悩みを相談されてからは、より深く私は彼を案じるようになる。その悩みとは、三阪が学生時代に付き合っていて、深く愛し合っていた彼女が、突然姿を消してしまったことだった。それから十年以上経っても、消えた彼女のことを忘れることができないのだ、と。

 大事な人との、断ち切られたような別れ。それは、私自身がかつて何度か経験したことだった。弟の死、妻の死、そして敬愛する師匠の死……。愛する者を喪う哀しみは、私のよく知るものだったのだ。だからこそ、私が三阪にかける言葉─私は誰でも他人には見えない傷や痛み、つまり切ないものをかかえて生きていると思う。いや。それをかかえることが生きることだとも思っている─には、実がある。

 二部で描かれるのは、三阪の前から突然姿を消した女性=ヤスコを主人公にした物語だ。何故、彼女は愛していた三阪と結ばれなかったのか。三阪は、彼女の過去をほとんど詮索しなかったため、彼女がどういう生い立ちだったのかは謎のままである。その謎をも含めて、私は、彼女の物語を描き出す。

 一部と二部を貫いている「芯」は、松井秀喜選手であることは前述したが、一部、二部を通じて、三阪と彼女を繋いでいるものも、一つだけある。それが、チェロ奏者パブロ・カザルスが生涯にわたって演奏し続けた「鳥の歌」だ。それは、失踪した彼女が、時折ハミングしている曲だった。カザルスの故郷、カタルーニャへの想いと、平和への願いが込められたこの「鳥の歌」が、第二部の通底音でもあり、その哀切な調べは、読後もずっと耳の奥で鳴り続ける。

 大切な人との別れを、人はどうやって乗り越えて行くのか(私の、三阪の、そしてヤスコの)。そして、心の気高さとは何なのか(お手本としての松井選手の人となり、その言動)。この二つを、物語として読み手に届けたのが、本書である。儚くなった人も、今を生きる人も、等しく愛おしくなる、そんな一冊である。

KADOKAWA 本の旅人
2017年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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