生の点滅、導く光 日和聡子

レビュー

3
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不時着する流星たち

『不時着する流星たち』

著者
小川 洋子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041050651
発売日
2017/01/28
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

生の点滅、導く光 日和聡子

[レビュアー] 日和聡子

 まぶしい日ざしに照らされた木木の葉が、そよぐ風に音もなくひらめき、その裏と表をたえまなく交互にあるいは同時に見せて、生死の深淵をのぞかせる。たとえばそんな光景を思わせる、見知らぬ誰かのいる風景、彼ら彼女らが過ごすときのありようが、これ以上ないほど精緻な描写で濃密に描かれる。本書におさめられた十の物語は、どれもがほかでは見たことのない、ことごとく予想のつかないものでありながら、その情景や感情が、ふと、それらをとりまく空気の流れや光の加減とともに、いつかどこかで見知ったものであるかのようにも感じられる。既視感とは異なる、新しくて懐かしいその奇妙な感覚をもたらす光景の数数は、本書を読むことによってひとたび体内に立ちあらわれると、もはや読む者にとって消えないあらたな記憶となって息づきはじめる。それと同時に個個の物語は、読む者自身のなかにそれまで眠っていたさまざまな記憶をもよみがえらせる。本書は、ほかのどこにもない光景を描き出しながら、それを読む者に、あらたな物語とかつての記憶が入り交じって行き交う時空を体感させる。

 ヘンリー・ダーガーやローベルト・ヴァルザー、パトリシア・ハイスミス、ヴィヴィアン・マイヤーなどの人物像とそれぞれの作品その他からインスパイアされた十の短編は、「第一話 誘拐の女王」「第二話 散歩同盟会長への手紙」「第三話 カタツムリの結婚式」といった魅力的なタイトルをもつ。そのほかにも、放置手紙調査法、世界最長のホットドッグ、などのモチーフが思いもよらないかたちで織り込まれた、魅惑に満ちた展開と空間を広げる全十話は、いずれも独立したべつべつの物語であるが、そこには通奏低音のように響き続けるものがある。それは、はなやかさとしめやかさが同居する、散るような凝(こご)るような、艶と渋味、重みとかろやかさ、極彩色と枯淡の味わい、その濃淡と強弱のバランスが生み出す美の音調である。緻密で大胆、濃厚にして淡淡とした不思議な文体。それによって顔色声色ひとつ変えずにおだやかに語られ綴られる物語に練り込まれる不穏さと狂気。限界まで凝縮されたものが、その極まったところで一気に裏返り弾け裂けて、こなごなに砕け散るような荒荒しさと開放感を合わせ持つ。それを読む者は、繊細さのなかにこもり満ちるその強い力をおそれつつ、慎重に積み上げられ整えられたものが遠く深く高く吹き飛ばされてゆく爽快感、カタルシスをも得ることとなる。作品世界に浸りながら、いつまでもこの時空に身を置いていたいと思いつつ、それが叶わぬことを知る切なさと安堵が入り交じるもどかしさを感じるところまでが、本書を読む醍醐味に含まれる。

 作者は個個の物語において、事の次第やそのありようを、裁断を下さずあるがままに凝視し見出だして、強靭な筆遣いでひたすら濃やかに写し取ってゆく。そうして描き出された一話一話は、愛おしくも奇妙に見え、いびつなものを内含しながらも美しい、ぎりぎりの均衡を保って成立する世界の一隅を垣間見せる。

 全話それぞれに惹かれつつ、とりわけ印象深く刻まれた幾つもの場面がフラッシュバックする。「第四話 臨時実験補助員」からは、ある夏に、とある心理学研究室が募集した臨時実験補助員としての任務を遂行する〈私とあなた〉という二人組のすがたが。彼女たちの仕事は、〈きちんと切手が貼られ宛先も記された大量の手紙を、担当地区のあちこちにこっそり置いてゆく。あたかも誰かがポストに投入する前、うっかり落としてしまった、とでもいうような気配を漂わせつつ、(中略)一通一通十分な間隔を空けながら〉というもの。当時十九歳だった〈私〉には成熟した大人に見えた〈あなた〉は、赤ん坊を産んで半年にもならない主婦だった。彼女の胸が張ってくると、二人は仕事を中断し、公衆トイレを探した。〈手洗い場でワンピースの前をはだけ、ブラジャーの中から引っ張り出した乳房を絞って母乳を捨て〉る彼女。乳首から勢いよく噴出して一直線の軌跡を描く母乳は、〈タイルに跳ね返った飛沫が床にまで散り、あなたのサンダルを汚していた〉。また、その後彼女の家を訪れた〈私〉は、ある瞬間突然庭へ出て、芝生の上に舞い込んできたらしい落ち葉を一枚拾い上げ、隣の庭にそれを投げ捨てる〈あなた〉の姿を見る。まぶしすぎて暗い、暗さのなかのまぶしさに目がくらむようなそれらのシーンが、ときにスローモーションとなって繰り返し脳裏に映り出す。細心の注意を払って丁寧に取り扱っている美術品を、緊張にこわばる手をふるわせて、最後の最後に取り落としてしまうような、悪夢の極致にひらく開放感にも似たものに、戦慄するとともに恍惚とする。ここに写し取られるはげしさとしずけさは何であろう。それに胸を突かれ、心動かされるしくみもまた。

「第九話 さあ、いい子だ、おいで」は、子どもの代わりに文鳥を可愛がることにした夫婦を描く。『愛玩動物専門店』を訪れた〈私〉と夫。そこからはじまる文鳥を軸にした夫婦の暮らしを見つめる〈私〉のまなざしが、店員の青年への密かな意識と絡み合い、甘美であやうい世界を醸す静かで強烈な一編。

「第十話 十三人きょうだい」は、父の末弟にあたる〈サー叔父さん〉をめぐる〈私〉の物語。辻褄が合っているのかいないのかわからない、しかし、そうした辻褄合わせのようなものではあらわしきれない真実のすがたという曰く言い難いものが、ここにはあざやかな手際で描かれている。あらすじを追うことではとらえきれない、文章からにじみ出すものにこそ滋味がある。読み終えたあと、張りつめた神経や感情の糸がふっとやさしくほどかれ、心身の奥底から込み上げてくるものがある。潮が満ち、引いて、また遠いところから打ち寄せてくるのを感じる。

 記憶や感覚、想像と確信、妄想と真実……。一人の人間のなかの現実と幻想、事実と虚構といったものが入り交じってそれぞれの日日をつくり、生の時間をおしすすめてゆく。いずれの作品も、一人一人のそれらが互いに交差し相俟って、世を育て、築き、壊しながら、人知れずあらためてゆくさまを映す。ときに矛盾や食い違いをもはらむ「物語」が、美しさといびつさを拮抗させながら、真実の光をかぼそく点し、点滅させつつ自らや誰かの生を照らし導く灯火ともなる。そのことを本書は気づかせ、次の場所へと誘ってゆく。

新潮社 新潮
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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