戦争とトラウマ 中村江里 著

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戦争とトラウマ 中村江里 著

[レビュアー] 福間良明(立命館大教授)

◆忌避され忘れられた疾患

 戦場や軍隊での暴力ゆえに、精神の病や障害を発症した日本軍兵士の存在は、決して知られていないわけではない。しかし、その実態は歴史学においてさえ、解き明かされてはいない。

 なぜ、この問題は戦後かくも見落とされてきたのか。本書は病床日誌や医療関係者の手記、さらには米軍の日本人捕虜尋問資料など、じつに膨大な資料を見渡しながら、戦時中から戦後にかけての(元)兵士の精神疾患を取り巻く言説構造を明らかにし、「なぜ戦争神経症は戦後長らく忘却されてきたのか」という問いに向き合っている。

 終戦時の資料焼却は実態解明を大きく阻害したが、原因はそれだけではない。陸軍病院や療養所で治療を受けられたのはごくわずかでしかなく、とくに戦争末期には戦場で死亡したり、「処置」されるケースが多く見られた。

 また、総力戦体制下では傷痍軍人(しょういぐんじん)であっても「再起奉公」が要請されるなど、「人的資源」のあくなき動員が追求されていた。そうしたなか、戦争神経症の患者たちは、兵役免除や恩給受給を目論(もくろ)んでいるかのように見られるむきもあり、彼らは侮蔑・警戒の対象とされたばかりか、多くは傷痍軍人援護の対象にさえならなかった。戦後、一定の時間を経て発症するケースも多く見られ、当事者や家族たちは「精神疾患は本当に戦争が原因なのか」という疑いにさらされがちだった。

 精神医学の世界でも、戦争トラウマへの無関心を促すメカニズムが存在した。戦後の精神医学界ではストレスの問題を軽視しがちな研究の潮流があったほか、戦後の価値規範も相俟(あいま)って、戦争・軍隊に言及することへの忌避感も見られた。そのことが、戦場での強度のストレスに起因する戦争神経症の実態解明を滞らせることとなった。

 戦争神経症の元兵士たちは、戦後なぜ顧みられなかったのか。その社会的な力学を浮かび上がらせた本書は、戦後の「戦争の記憶」をめぐる重い歪(ひず)みをも鋭く提示している。

(吉川弘文館・4968円)

<なかむら・えり> 1982年生まれ。一橋大特任講師。

◆もう1冊

 蟻塚(ありつか)亮二著『沖縄戦と心の傷』(大月書店)。沖縄戦が人々の精神に与えた深刻な被害をトラウマ診療にあたった精神科医が告発。

中日新聞 東京新聞
2018年2月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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