愛されなかった記憶を救う家族小説

レビュー

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不在

『不在』

著者
彩瀬 まる [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041049105
発売日
2018/06/29
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

愛されなかった記憶を救う家族小説――【書評】『不在』三浦天紗子

[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)

 ヒット作もある人気マンガ家の斑木アスカこと錦野明日香は、五歳下の俳優の卵、冬馬と同棲している。明日香は、長らく疎遠だった父親が死に、終の棲家だった洋館と土地を相続することになった。明日香の生家は祖父の代から続く開業医。葬儀の後、〈私の死後、明日香を除く親族は屋敷に立ち入らないこと〉という父の奇妙な遺言とともに家を引き受けた明日香は、父と別れた母や、兄の鷹光、叔父の智ではなく、恋人の冬馬と家財道具の処分を始める。

 二十四年ぶりに屋敷に足を踏み入れ、雑然と置かれた遺品を、売るもの、捨てるもの、あげるもの、残すものなどと仕分けていくうちに、明日香の脳裏には、父や家族との記憶の断片がいくつも蘇る。たとえば、祖父に厳しくピアノの音を聴く訓練をさせられ、泣いていたこと。〈若先生〉と呼ばれていた父は、近所で名医と謳われた祖父といつも比較されていたこと。ふらりと屋敷を出ていく父の後を追っていったのは、ソフトクリームや大判焼きを買ってもらうためではなく、本当は父の味方をしてあげたいと思っていたからだということ。言い争う両親を止めようとドアノブに手を掛けた瞬間、父の〈鷹光だけは置いていけ〉という言葉にショックを受けたこと。

 これまで気づかなかった、祖父と父や叔父との関係、父と自分たちきょうだいとの関係、あるいは、父と母や妃美子という後添えのように父の世話をしていた女との関係。どこを見ても、錦野家の血は愛に不器用だ。明日香はまるで記憶に感化されるように、冬馬に対して、また、信頼して新しい企画を進めていた若い女性編集者の緑原に対して、支配的になっていく。いまのままの自分を認めてもらいたいと強く願えば願うほど、彼らとの関係はぎくしゃくしていく。

 人が愛を間違うのは、自分が望んだ通りに愛してほしいと思うからだ。愛し方は人それぞれだと頭ではわかっていても、こうだったらいいと期待する。そして、自分の思う形と違っていると、自分は愛されていない、それは愛ではないと、決めつける。しかも、明日香の愛し方は、父のそれとあまりに似ていた。

 そんなふうに、物語のある地点までは、愛されなかったことの飢餓感が愛を歪めてしまうさまが描かれ、明日香の痛みがそのまま読者に突き刺さる。

 そんな物語の空気を変えるのが、屋敷に現れた幼い少年だ。片付けに屋敷を訪れていた明日香と冬馬は、最初、誰もいないはずの二階で物音を聞く。ねずみかと思っていた音の正体は、二階に潜り込んでいたどこの誰ともわからない少年で、幽霊をやっつけに来たのだと言った。探しものもしているらしい。少しずつ明日香とも打ち解けるようになるが、たびたび屋敷に忍び込んでいる理由が、実は明日香とも深く関わりのあることで……。

 この少年の素性が見えてきて、そしてどうやら探しものが出てきたらしいそのときに訪れる変化。それこそが、がんじがらめになっていた愛が解かれる瞬間だ。

 ちなみに、本書には〈不在〉というごく短いタイトルがつけられている。実はこの言葉も、彩瀬さんが追いかけているテーマかも知れないと感じた。「喪失」や「後悔」をテーマにしたオムニバス短篇集『骨を彩る』や震災後に連絡がつかなくなった親友への揺れる思いを描いた『やがて海へと届く』も、大切な人がいなくなり、その存在に思いを馳せることによって、主人公たちが気づきを得る物語だったが、それは本書にも通じるところがある。

 けれど、そばにいないことは「空」ではない。不在の者を思うとき、その存在はより身近なものとなって、美しい奇跡を起こす。

 作風で言えば、もうひとつ、冒頭の斑木アスカのサイン会の場面にこんな言葉が出てくる。〈あなたの漫画にはこんがらがったものを根気よくほぐして、別のものに変えようとする力が働いているね〉。斑木アスカの作風を評したものだが、彩瀬まるさんが描く小説世界にも通じる評論という気がしている。

KADOKAWA 本の旅人
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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