直木賞候補作! 今村翔吾さんの『童の神』は、これからも多くの人々を惹きつけ、その心を熱くしてくれることだろう。「反逆」と「希望」の物語―『童の神』が描く自由の意味

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童の神

『童の神』

著者
今村翔吾 [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413299
発売日
2018/09/28
価格
1,760円(税込)

「反逆」と「希望」の物語―『童の神』が描く自由の意味

[レビュアー] 三田主水(文芸評論家、伝奇時代劇アジテーター)

 この数年、歴史時代小説界では個性的で魅力的な作品とともに才能豊かな新人が数多く登場してきた。その中で一頭地を抜いた感があるのが、二〇一七年三月のデビュー以来、快進撃を続けてきた今村翔吾であることに異論はないだろう。そしてその作者にとって、この先長く代表作と呼ばれるべき作品が本作―平安時代を彩った様々な伝説や人物・事件を題材とした一大伝奇小説である。

 鬼、土蜘蛛、滝夜叉―かつては平和な暮らしを送りながらも、まつろわぬ民として朝廷によって平定されたうえ、「童」と呼ばれて京人から蔑まれる先住民たち。その一つ、盗賊団・滝夜叉の頭領・皐月と出会い、密かに愛し合うようになった安倍晴明は、「童」との共存を図ろうとする源高明の蜂起の企てに加わる。しかし計画は協力者であったはずの源満仲の裏切りにより瓦解。鬼や土蜘蛛の頭領たちをはじめとして童たちは多大な犠牲を払い、散り散りとなるのだった。追及の手を逃れた晴明は、折しも発生した日食を空前絶後の凶事と断じることで、辛うじて捕らえられた者たちの恩赦を勝ち取るのだった。
 その日食の最中に生を享けたのが、本作の主人公である桜暁丸だ。越後の郡司の息子として生まれた桜暁丸は、「凶事」の最中に生まれたこと、異国人の母から受け継いだ異貌によって周囲からは疎まれつつも、父と師に支えられて逞しく成長していく。しかし日食から十数年後、凶作から民を救うために力を尽くしていた父が謀反人の汚名を着せられたことにより、彼の運命は一変する。父や故郷の人々を滅ぼされた末、かつての「童」たちの蜂起に参加していた師に助けられて一人生き延びた桜暁丸。激しい復讐の念を抱いて京に出た彼は、やがて役人ばかりを狙う強盗として怖れられるようになるのだった。
 そんなある晩、満仲の子・頼光に仕える渡辺綱と坂田金時と対峙し、追い詰められた彼は、人間離れした身軽さを持つ一人の男に助けられる。その男こそは庶民を救うために貴族から奪っては施しを行う義賊・袴垂―歴とした藤原氏出身の貴族ながら、「童」の一つである夜雀の体術を身につけた変わり者である。そんな袴垂と行動を共にするうちに、彼を兄とも慕い、同じ夢を追うようになっていく桜暁丸。しかし思わぬことから正体が露見し、追い詰められた二人は……。
 と、ここまでの物語が全体の半分弱といえば、本作がどれだけ波瀾万丈な物語であるかが想像できるだろう。この先も桜暁丸を待つのは波瀾万丈の道のり─奇しき因縁に結ばれた童の仲間たちや愛する人との出会い、宿敵である頼光四天王との死闘、そして自由を求めて繰り広げる果てしない戦いなのである。

 さて、世の権力者たちに追われた者たちが、自由の新天地を求める「反逆」の物語は、『水滸伝』をはじめ決して少なくない。例えば江戸時代の建部綾足の読本『本朝水滸伝』は、奈良時代を舞台に、中央を追われた亡命者たちが各地のまつろわぬ者たちと結んで蜂起を目指す物語であり、本作もこうした物語の系譜にあることは間違いないだろう。
 しかし本作は、これらと重なるものを持ちつつも、同時により切実なものを内包している。それは桜暁丸たちの戦いの目的―彼らの求める自由の意味は、単に支配されないことではなく、自分たち「童」もまた人であると認めさせることにこそあるのである。
 鬼や土蜘蛛といった魔物たちが、被征服民や異民族の喩えであるとは、しばしば語られることであり、本作の「童」たちの存在がそれを踏まえていることは間違いないだろう。しかし本作はほぼ一貫して彼ら「童」からの視点で描くことによって、彼らの置かれた状況や抱く想い、そして彼らをそのような立場に置いた者たちの傲慢と社会の無情を、これまでにないほど力強く浮き彫りにする。
 そこにあるのは、人が人を差別することへの怒りであり、人が人として生きることへの切なる願いであり―その点において、本作は「反逆」を描いた物語の中でも、極めて根源的なものを描いていると言えるだろう。

 そして本作にさらなる厚みを与えるのは、決して「童」=被害者、京人=加害者という図式を固定化して描かない点である。「童」を差別してきた京人たち―その中にも、「持てる者」たちに差別される「持たざる者」たちが存在する。そして「童」の中にも、生きるために、京人に膝を屈する道を選ぶ者も存在するのだ。
 そんな構造を持つ本作は、どちらが善でどちらが悪などと割り切れる物語ではない。悪を倒してめでたしめでたしという物語でもない。それゆえ、本作は多くの場面で我々読者にひどく苦い味わいをもたらす。しかしそれでもなお本作が我々の目を最後まで惹きつけ、爽やかな読後感すら与えてくれるのは、本作が描こうとするものが、一つの希望であるからにほかならない。
 終盤で桜暁丸が仲間たちに語る「人を諦めない」という言葉―その根底にあるのは、京人との戦いに勝利することを望む心ではない。どれだけ追い詰められ、裏切られてもなお、人と人とが手を携えることが可能であると信じ切る想いなのである。それは現実にはあり得ない夢にすぎないのかもしれない。単なる理想論にすぎないのかもしれない。それでも―そんな希望の存在を、桜暁丸と仲間たちの姿は一瞬でも信じさせてくれる。そして今の我々は、その希望の先に存在するのだとも。

 英雄豪傑たちが繰り広げる波瀾万丈の「反逆」の物語であると同時に、人が人であるために抱く「希望」を描く物語―『童の神』は、これからも多くの人々を惹きつけ、その心を熱くしてくれることだろう。

角川春樹事務所 ランティエ
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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