円熟味をました熱き激しい物語――横山秀夫『ノースライト』

レビュー

9
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ノースライト

『ノースライト』

著者
横山 秀夫 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104654024
発売日
2019/02/22
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

円熟味をました熱き激しい物語

[レビュアー] 池上冬樹(文芸評論家)

 誘拐事件捜査をめぐる警察小説『64』は圧倒的な傑作だった。海外にも多数翻訳されて、賞は逃したものの英国推理作家協会賞インターナショナルダガー賞にノミネートされたし、ドイツ語にも訳されて今年一月にはドイツ・ミステリー大賞を受賞した。

 その『64』から六年、ついに待望の新作の登場である。横山秀夫だから当然ミステリー、しかも警察小説だろうと思ってしまうが、『ノースライト』は従来のジャンル・ミステリーから少し離れた建築家小説である。警察も刑事もほとんど出てこないし、殺人事件も起きない。にもかかわらず、大いなる謎があり、激しい人間ドラマがあり、激しく心揺さぶる感動がある。そして最後は感涙にむせぶことになる。

 その話を聞いたとき、一級建築士の青瀬稔は我が耳を疑った。信濃追分に建てた新築の家に誰も住んでいないというのだ。青瀬が過去に設計した家に惚れ込んだ施主の吉野に、「あなたにすべてお任せします」と熱望され、自分のすべてを注ぎ込んだY邸は、建築雑誌にも取り上げられるほど高い評価を受けた。四カ月前の引き渡しのときには、吉野夫妻と子供たちはすごく感激していたではないか。住んでいないなどありえない。青瀬は吉野の携帯にも自宅にも電話をするが出ない。青瀬は設計事務所オーナー岡嶋とともに信濃におもむく。

 信じがたいことに、吉野邸は無人だった。玄関の扉にはこじあけた痕があり、ドアは開錠されている。中に入ると電話機以外に家具はなく、二階にあがると、窓の向こうの浅間山を望むように、古ぼけた一脚の椅子だけがあった。岡嶋によると、ドイツの建築家ブルーノ・タウトの椅子ではないかという。昭和初期、ナチス政権による迫害から逃れるために日本に渡ってきた近代建築家で、日本滞在中、実業家の別荘の改築を頼まれ、調度品をデザインしていたという。これはタウトがデザインした椅子なのだろうか。なぜ一脚の椅子だけが残されている? 吉野一家はどこにいった?

 だが、それだけに関わるわけにはいかなかった。事務所の命運のかかったコンペが間近に迫っていたからだ。しかしある事件が起きて、青瀬たちは窮地にたたされてしまう。

 建築家の職業小説であるが、追及されるのは施工主家族の事情で、青瀬が探偵役に徹して、行方を追いかけていく。同時にコンペにまつわる事件の解決もまかされて、それまで目をむけてこなかった様々なことが明らかになり、青瀬自身が人生の岐路にたたされることになる。

 本書では、失踪した家族や、タウトの人生と椅子をめぐる美しい謎の追及も興味深いけれど、もっとも印象的なのはやはり青瀬自身の人生だろう。父親はダム建設の熟練の型枠職人で(膨大なコンクリートを流し込む型枠は現場で作り上げられる)、父親に連れられて一家は各地を転々とした。転居は二十八回を数え、青瀬は小中学校九年間で七回も転校した。そんな「渡り」の生活を送ったからこそ、家は大事だったのに、バブル時期に結婚生活を送った青瀬にはそれがわからなかった。一人娘日向子が生まれ、木の温もりのある家を求める妻ゆかりの思いにも応えられず、バブルが弾け、やがて離婚。負け犬として、自暴自棄の生活を送っていたが、岡嶋に拾われ、Y邸を作り上げたことで、ようやく「建築家」の自信が生まれた。だからこそ、その家を求めた家族の失踪が気になって仕方がなかった。

 そんな青瀬の過去と現在が丹念に描かれる。あるコンペ関係の画家の記念館について「精緻なルポルタージュだ。それでいて物語性に満ちている」という表現が出てくるが、それは青瀬自身の人生にもいえる。精緻かつ物語性豊かにつづられているからである。

 繰り返すけれど、本書は建築家を主人公にした小説であり、警察小説ではない。しかし構造的には全く同じである。『64』がそうだし、初期の『陰の季節』『動機』などの警察小説もそうだが、警官自身の問題を捉えて、彼自身の人生にひきつけながら、なおかつ事件捜査を怠らずに、そこにもうひとつの大きなドラマを作り上げていく。しかもいつも身近な些細な事件から、その人間の生き方の是非を問いかける熱き激しい物語になるのだが、それは本書『ノースライト』も変わらない。むしろタウト探究の話をいれたことで、芸術家小説としての側面も加わり濃密になっている。

『64』から六年、いちだんと横山文学は円熟味をましてきて、再読・再々読したくなるような深みをもつ。ひたひたと押し寄せるラストの温かな感動は、横山文学の中でも随一だろう。

新潮社 波
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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