「江藤淳嫌い」が治る本 平山周吉×竹内洋・対談

対談・鼎談

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江藤淳は甦える

『江藤淳は甦える』

著者
平山 周吉 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103524717
発売日
2019/04/25
価格
4,070円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【『江藤淳は甦える』刊行記念対談】平山周吉×竹内洋 「江藤淳嫌い」が治る本

[文] 新潮社

フィクショナルな「私」

竹内 この本は784頁あって、普通ならば3、4冊分の分量です。原稿用紙にして何枚くらい書きましたか?

平山 1600枚くらいですか……。

竹内 ものすごく調べられていて、戦後の文壇史であり、戦後の論壇史であり、戦後史でもある大作です。完成された今、どんなお気持ちですか?

平山 書くことを前提にしなくとも、自死の直前に最後に会った人間として、江藤さんの文章を読み直さなければいけない、という思いはありました。伝記を書く段になり、できれば、全部読むということを自分に課したんです。というのは、江藤さんの著作が重要なのは当然ですが、対談、座談会、講演など、口語的なものの記録が膨大に残っています。江藤淳という人は、弁論、口から出る言葉を重視していますから、そちらの方も全部集めて読もうと試みました。
 伝記的な事実は、文章の中にたくさん書かれています。ところが、取材してゆくと重要な出来事が省かれていたり、逆に、不自然に強調されている場合もあるのです。「××と私」というタイトルの文章が多い人ですけれど、かなりフィクショナルな「私」を文章の中で作っていたことに気づきました。事実と文章の中の「私」の差を調べてゆくうちに、つい長くなってしまったんです。

竹内 対談がたくさんある人だと、文章ならば書かないような本音がぽろっと出ているケースは多いですからね。私が一番感心したのは、湘南中学校や日比谷高校の同級生などを取材している場面を映像的に再現していることです。アプローチした手順とか、その人の語り口も書かれていて、読者にしたら、敏腕刑事が裏取りしている過程に立ち会っているような気分になります(笑)。

平山 どんどん刑事的になっているなとは自覚していました。

竹内 冒頭から出生が昭和7年か8年かというような謎が出てきます。今でも8年のまま、年譜が訂正されていない文庫本もあります。江藤が残した謎を探索してゆく旅とも読めるわけで、分厚い本だけれども、読者にはミステリー的に惹きこまれる読み易さがあります。

平山 文学の専門家ではないですし、自然とジャーナリズム的なアプローチになってしまいます。テキストだけで考えるのは他の人に任せることにしました。

竹内 後半はかなりテキストを読み込み、内的なアプローチをしています。伝記的な外側からのアプローチと、両方の要素があるのがすごいと思います。
 江藤淳がなぜ博士号を取ったのか、東工大の先生に話を聞いて確かめておられるのには感心しました。文壇内では、権威主義者だから、就職して慌てて学位論文を書いたという噂が流布しているでしょう。事情はまったく違います。理系の大学では周囲の人間はみな博士号を持っていて、どうしても学位が必要なんです。

平山 永井道雄さんのアト釜で、38歳で社会学の助教授として入っています。竹内先生と近いジャンルでした。

竹内 当時の国立大学の文系の場合は、かなり年輩になってから申請するもので、40歳くらいで出すことはありえませんが、江藤は出身校の慶應大学に『漱石とアーサー王伝説――『薤露行』の比較文学的研究』を出して博士号を取ったわけです。江藤は東工大に入って2年後に助教授から教授になりますが、学位をできる限り早く取ることが付帯条件だったかもしれません。大学内の事情を知らない人が江藤の態度を批判していますが、国立大学文系の相場で考えた下衆の勘繰りめいています。

平山 江藤さんと慶應で同期の高山鉄男先生から、慶子夫人の話を聞くつもりで会っていた時に出た話なんです。

竹内 なるほど。だから、大学内でも上手く立ち回ったように、江藤は文壇内でも逆張り、もしくはちゃぶ台返しのような戦略で期せずして覇権を握ったんじゃないですか。

平山 どうでしょうか……。

竹内 たとえば、左派の代表格の吉本隆明から、「江藤さんと僕とは、なにか知らないが、グルリと一まわりばかり違って一致しているような感じがする」と言われているのは、吉本にとってはどうだったかわかりませんけど、江藤にとっては得でしょう(笑)。丸山眞男が「世渡り上手」と評するような面がありませんか。

平山 慶應の英文科で指導を受けた西脇順三郎に「敵意に似た尊敬」を抱くと表現するとか、アンビバレンツな感情の動きをする人ではあります。

竹内 言いたい放題に見えて、敵の総大将と手を結んだり、一番目立つ人を叩いたり、強かな生存戦略を採っているように見えますけれど。

平山 もうちょっと大人だったら、社会の中でも文壇でも、よりうまく泳げたような気がします……(笑)。

竹内 むしろ、率直すぎるのか。

平山 基本、裏表のない人ですし、激しい内面の葛藤もさらけ出してしまいます。真剣になれば相手を乗り越えてやろうと考える人ですから、好かれるタイプではないでしょう(笑)。

竹内 東大的なんですか?

平山 確かに、江藤さんは東大の方が向いていたタイプでしょう。

竹内 東大行かない人の方が東大的な場合も多いですよ(笑)。日比谷高校出身だし、東大に行っていれば、余分なコンプレックスがなくなるから、もうちょっと世渡り上手になったかもね。僕は実物を知らないけれど、ちょっと後に山崎正和さんが出てきた時、江藤から権力志向をマイナスした人のように思いました。

平山 2人とも政治家のブレーンをしていますね。佐藤栄作政権の時、楠田實という産経新聞政治部記者が首席秘書官になって、江藤さん、山崎さん、そして永井陽之助さんや高坂正堯さんなどの現実派知識人をリクルートしたんです。

竹内 山崎さんは『舞台をまわす、舞台がまわる』というオーラルヒストリーで政治家との関係性を明かしていますが、江藤淳のように「治者」という概念を使って美化したり、人間として理想化したりせず、距離を取って観察しています。

平山 江藤さんは、政治に積極的にコミットしました。でも、好き嫌いが激しいので、佐藤栄作の後は親しかった福田赳夫政権と心中するつもりだったようです。いろんな政権と付き合った山崎さんとは対照的ですね。文筆の方でも、政治家と近くなった頃から「政治的人間」の研究を始めて、『海舟余波』という著作も生まれます。歴史的な人間を評価することにより、生臭い問題を文学的に処理していたわけですけれど、かなり本気で政治に取り組んでいたのは確かです。

竹内 61年から「中央公論」に「実務家の人間研究」という連載を始め、東芝社長・岩下文雄や東京駅長・大橋猛敏などについて書いています。

平山 本になっていないですけど、実務家としての経済人への注目も早いです。

新潮社 波
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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