『約束された移動』
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そのひとだけはずっと遠くを見ている
[レビュアー] 三宅香帆(文筆家・書評家)
そのひとは、静かに遠くを見ている。私が右往左往しつつ日々の雑事に追われ、うろうろと回り道をしているあいだ、そのひとだけは、静かに、ずうっと遠くを見ている。そしてそこへたどりつこうとするのだ。私はそのひとが遠くへ行こうとするさまを、ずっと横目で見ていた。
そのひととはじめて出会ったのは、小学校の図書室だった。手にとった本の装丁がとてもうつくしく、きっとこの本は中身もうつくしいんだろうな、とぼんやり思った。たしかにうつくしかったが、それ以上に小学生の私を、静かに、遠い場所へ連れて行ってくれる小説だった。
そのひとの名は小川洋子といい、はじめて手にとったその本は『博士の愛した数式』という題名が付されていた。私はそれ以来ずっと小川洋子作品を読み続け、今もなお通勤電車で小川洋子の新刊を読む。最新作『約束された移動』という短篇集もまた、十年以上読み続けてきた小川洋子の紡ぐ物語世界がふんだんに詰まった、静かでうつくしい本だった。
小川洋子の綴る物語は、日々の生活のなかでは視線に入らない、遠くの、だけどとても大切なものをすっと指差していることが多い。たとえば海で必死に毎日船を漕ぐひとびとは、足元の波の様子を見るのに必死で、あそこに灯台がある、と気がつかない。だけど小川洋子だけは静かに気づいている。ふつうにしていたら見えない、たしかな灯台のあかりの場所を知っている。そして小説のなかで、私たちに示してくれるのだ。あの場所に灯台があることを。遠くに実は灯りがついていることを、静かに伝えてくれる。
たとえば表題作「約束された移動」においても、灯台は、俳優Bの持ち去る小説本、というかたちをとってあらわれる。たとえば『怒りの葡萄』の砂埃舞う国道。たとえば『闇の奥』の暗い河を漕ぐ船。たとえば『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』の駆け出した距離のその、遠さ。
表層で見れば、俳優Bも、客室清掃係の主人公も、ただの凡庸な生活人のひとりかもしれない。だけど違う。彼らは困難な旅路を踏みしめてゆく冒険者であることを、小川洋子の視線は教えてくれる。そして私たち小川洋子作品の読者は知る。彼らが、表層からみたら分からないほど遠くへ志をもって生きていることを。
主人公が俳優Bの持ち去る小説に隠された秘密をひっそりと見つけたように、私たち読者もまた、『約束された移動』という本に収められた各短篇において、彼らのほんとうの姿を知ることになる。
ふつうに生きていたら見過ごしてしまいそうなひとびとの旅路。まるで本棚のなかで一冊だけ消えた本を見つけるほど、ささやかな変化。だけど小川洋子は静かに指差す。灯台がそこにあることを示す。近視眼的では見えないものの見方で。
「行くしかないなら行こうよ」という、『約束された移動』に響くことばが、私たちの視線を上げる。静かだが、たしかな旅路があることを、読者はそこで知るのである。