少女たちの揺れる心と学園に息づく怪異の秘密――美しくも繊細な青春ホラーミステリ『震える教室』

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

震える教室

『震える教室』

著者
近藤 史恵 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041093030
発売日
2020/04/24
価格
748円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

少女たちの揺れる心と学園に息づく怪異の秘密――美しくも繊細な青春ホラーミステリ『震える教室』

[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:三浦 天紗子 / ライター、ブックカウンセラー)

 学校と怖い話は相性がいい。無人の音楽室から鳴るピアノ、夜中に動き出す理科準備室の骨格標本、三番めの個室に潜むトイレの花子さん……。大人はもちろん、子どもの頭でもあり得ないと笑い飛ばせる不合理な言い伝えが、学校という場所に限っては、なぜか起きてもおかしくない気分になってしまう。昼間でも薄暗い教室があったり、長い廊下の向こうが気味悪かったり、トイレがやたらひんやりしていたりするからだろうか。古い建物ならなおさらだ。閉鎖的でどこか重苦しい学校の空気が、自分も妙なものを目撃してしまうのではないかという好奇心や恐怖心を否応なくくすぐってくる。

 近藤史恵の『震える教室』は、そんな学園を舞台にしたホラーミステリーだ。舞台は、明治時代に創立され、百二十年もの歴史を持つ私立の中高一貫校〈凰西学園〉。三階建ての洋風建築の古い校舎は、ゴシックホラーの雰囲気を守り立てるのにふさわしい。凰西学園は音楽教育で名高く、高等部には音楽科、バレエ科、普通科がそれぞれ一クラスずつある。受験に失敗し、二次募集でその普通科にすべり込んだ秋月真矢が本書の主人公である。

 お嬢様学校に外部受験して入学した口で、公立の学校とは違う華やかなオーラがある生徒や保護者を眺め、場違いな据わりの悪さを感じていた始業式当日、真矢はひょうひょうとした相原花音と出会う。出席番号がひとつ違いというきっかけも手伝い、友人を求めて言葉を交わしたふたり。本書は、この真矢と花音がホームズ&ワトスン的なゴールデンコンビとなって、怪異の正体や背景を突き止めていく連作短編集になっている。

 ホームズシリーズでは、博覧強記だけど人とのコミュニケーションが苦手なホームズが探偵役、事件解決のため彼をサポートする生真面目で友情に厚いワトスンが助手役を務めるが、真矢と花音にはそのような明確な役割分担はない。というか、真矢と花音の力が合わさらなければ、そもそも特別な力を発揮できない。その力とは、真矢と花音が手を繋いだり、肩など互いの身体の一部が触れていると、〈現実ではないもの〉が見えるようになるというもの。一方で、ひとりでいると、何も見えない、わからない。真矢にしても花音にしても、霊感があるわけではなく、互いが一緒にいるときだけ、怪異を見ることができるのだ。すなわち、彼女たちのパワーはふたりでひとつ。魂の双子のような友情を少しずつ育み、不思議な現象と折り合いをつけていく“関係性萌え”の物語でもある。

 第1話「ピアノ室の怪」では、まだふたりは出会ったばかり。知った顔もいない心細さもあり、自然と声をかけ合った。〈わたし、この学校が怖いの〉。花音はそう言って、真矢の袖をつかむ。古びた校舎の雰囲気に背筋が冷たくなる気がするのは真矢も同じだが、花音はあろうことか、出るとうわさのピアノ練習室に行ってみようと持ちかける。それには理由がある。花音の母親はミステリ作家の藍原芽衣子。花音曰く、今度ホラー作品を書くことになった母親に頼まれ、参考に見にいかなくてはいけないが、ひとりでは怖いので付き添ってほしいというわけだ。恐る恐る足を踏み入れたふたりが見たのは、宙に浮く血みどろの指! この怪奇現象の理由を探っていくうちに、真矢と花音はピアノ科の生徒に起きた過去の悲しい事件にたどり着く。

 第2話「いざなう手」は、入学してひと月ほど経った五月のある日のこと。通学途中に、凰西学園高等部の制服を着たほっそりした少女が駅の階段で足を滑らせたのを、真矢が下敷きになって助けてあげた縁から物語は幕を開ける。下級生の真矢の教室にまで感謝を伝えに来た紗代と付き添いの塔子はバレエ科の生徒で、体型維持のためのダイエットや貧血などに悩んでいる様子。彼女たちが教室から出て行きかけたそのとき、真矢と花音の手が触れ、紗代の足下から伸びた手が見えた。骨と皮だけのようになったその手が暗示する闇の部分を、ふたりは調べていく。

 さらに、保健室の奥のベッドを一床必ず空けておく理由と、それにまつわるぞっとする噂。水泳の補習授業のあとに、不登校になってしまった生徒と、〈慣例として、プールに生徒を入れない日〉のおどろおどろしい秘密など、怪異は続く。

 そうしたホラー体験のヒヤヒヤ感と、事件の背景を探る謎とき。厳密にはミステリー要素は薄めだが、どんな恐怖譚も、後ろにあるストーリーにこそ怖さの種がある。四谷怪談だって、理不尽な理由で伊右衛門に毒殺されたお岩の無念を知るから、同情もするし、ぞっとする。「幽霊が出るって有名な場所だよ」と言われただけでは怖くもなんともないだろう。本書でも、嫉妬、支配欲、執着など、ネガティブな感情がどうして生まれ、異様な出来事として現れるのかがつまびらかになったときに背筋が凍る。

 一方では、語り手を務める真矢の、十代の女の子らしい心理に共感しながら読めるのも本書のポイントだ。真矢は、学習塾を経営している両親のもと、大阪郊外のごく平均的な家庭で育った。音楽科やバレエ科の生徒たちの美しさや、彼女たちのお嬢様然とした雰囲気に憧れつつも、おのれの平凡コンプレックスには落ち込むこともあるし、作家をしている母と大阪市内のタワーマンションで暮らしている花音の境遇はちょっぴりうらやましい。ピアニストになりたい、バレリーナになりたいと決めて進路を選んできた同じ世代の女の子たちと比べ、将来、何をしたいかもわからない自分。何という違いだろうと焦りのようなものを感じてしまう気持ちもわかる気がする。だが、そうした心の揺れは、十代だけの専売特許ではない。

 そう、誰もが持つコンプレックスやジレンマ、痛すぎる自意識、かすかな違和感、小さな悪意など、人間心理の綾を描き、遠い事件すら我がことのように感じさせてしまう筆さばきこそ、近藤史恵という作家を読む喜びだと思う。

少女たちの揺れる心と学園に息づく怪異の秘密――美しくも繊細な青春ホラーミス...
少女たちの揺れる心と学園に息づく怪異の秘密――美しくも繊細な青春ホラーミス…

 あらためて、作家としての近藤史恵の歩みを振り返ってみる。デビューは一九九三年、第四回鮎川哲也賞受賞作の『凍える島』(東京創元社、のちに創元推理文庫)。アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を本歌取りしたと思わせるクローズドサークルのミステリーだった。そのまま新本格系作家の道を進むかと思いきや、むしろ二作目以降で見せてくれたミステリーの舞台は百花繚乱。たとえば、歌舞伎役者が登場し、舞台や芸、梨園という特殊な世界をめぐる謎に挑む「歌舞伎」シリーズ。『ねむりねずみ』を始め、現在までに四冊(「探偵今泉」シリーズと考えれば、狂おしい恋と耽美の物語『ガーデン』が一冊増えて五冊)を刊行。お掃除の天才にしておしゃれで気さくなキリコが、オフィスで起きる事件を解決、心のお荷物も片付ける「清掃人探偵・キリコ」シリーズは、『天使はモップを持って』(実業之日本社、のちに文春文庫、実業之日本社文庫)を含め、既刊五冊。下町の小さなフレンチ・ビストロのお客さんから持ち込まれた日常の謎と料理の数々を楽しむ「ビストロ・パ・マル」シリーズは、『タルト・タタンの夢』(東京創元社、のちに創元推理文庫)を含め三冊出ている。おそらくいちばん有名なのは、二〇〇八年に、第十回大藪春彦賞を受賞した『サクリファイス』(新潮社、のちに新潮文庫)から続く、同名シリーズだろう。自転車ロードレースに賭ける男たちの心理的葛藤が細やかに描かれ、スポーツや勝負の世界の歓喜と厳しさを垣間見る圧巻のサスペンスで人気も高い。こちらは現在までに五冊刊行されている。

 シリーズ作品は他にもあるし、ノンシリーズの作品も多い。ノンシリーズの中で個人的に好きな長編としては、『はぶらし』(幻冬舎、のちに幻冬舎文庫)と『インフルエンス』(文藝春秋)を挙げたい。『はぶらし』は、かつて親しかった友人のつらい状況を聞いて、一週間だけのつもりで同居させてあげるヒロインが、じわじわと安寧な生活を侵食されていくサスペンス。『インフルエンス』は、大阪郊外のニュータウンで起きたある事件をめぐり、当時中学生だった三人の女性たちの人生が変わっていくさまと、彼女たちのねじれた共犯関係の真相を、第四の女性である女性作家が書き留めていくという凝った構成の心理ミステリーだ。

 声高に訴えてはこないが、女性や子どもなど弱い存在が、日常のありふれた光景や言葉によって傷ついてしまうことがあること、そうした痛みを抱えて生きている人がいること、つまり性暴力や虐待、さまざまなハラスメントを、物語に溶け込ませて気づかせてくれるのも、近藤史恵という作家の近年の特徴ではないか。隠れたフェミニズム視点があるから信頼できるし、その美点は本書にも生きている。

 ちなみに、本書はプロローグとエピローグではさんだ六つの章で構成されている。だが話が進んでも、なお解けない謎がある。なぜ、真矢と花音の身体が触れあっているときだけ、わけのわからないものが見えるのだろう。その能力は何のために生まれたのだろう。ぜひこの真矢と花音のコンビもシリーズ化して、いずれ解き明かしてほしいと思っている。

▼近藤史恵『震える教室』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000327/

KADOKAWA カドブン
2020年6月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク