<東北の本棚>通説を検証 父子確執か
[レビュアー] 河北新報
徳川家康の長男、信康は21歳で自ら命を絶った。織田信長に切腹を命じられ、徳川家の重臣で庄内藩酒井家の祖・酒井忠次が仲介したとされてきた。名古屋市の甲冑(かっちゅう)師の著者がその通説に疑問を持ち、独自の視点で真相に迫った。
信康は信長の娘、徳姫と結婚、岡崎城(愛知県岡崎市)の城主になった。信康が切腹した通説の元になったのが幕府旗本の大久保彦左衛門が書いた「三河物語」だった。
同書によると、徳姫は信長に信康の乱暴な言動を告発する手紙を書き、忠次に託した。忠次が信康をかばわなかったため、信長は信康に切腹を命じた。これに対し、著者は物語が信康を死に追いやったのは忠次だったという印象を与えるために書かれた作文だったと推測。彦左衛門の狙いは徳川家が傷つかないようにすることだったとみる。
著者は信康の自刃の原因は父子の確執にあったと主張する。2人は信康の妹の結婚や戦を巡って対立した。家康は徳川家の分裂を警戒し、信康の切腹を決断した。徳川体制を確立するためやむを得なかった措置だったという。
著者は信康を祭る神社がある山形県庄内地方を訪れ、「三河物語」の通説が広まっていることを知り、本書を執筆したという。大胆な推測が好奇心を刺激する。(裕)
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