『鳥類学は、あなたのお役に立てますか?』
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役に立たない、わけではない。
[レビュアー] 養老孟司(解剖学者)
養老孟司・評「役に立たない、わけではない。」
そうか、この手があったか。このタイトルを見たときに、そう感じた。当たり前だが、時代は変わった。私は森喜朗元首相、前五輪組織委員会会長と同年生まれだから、もちろん完全に時代に遅れている。学者というのは、謹厳実直、融通が利かず、堅い人というイメージが世間に強かった時代の生き残りである。著者がその逆だとは言わない。お堅いはずの学者が、ソフト路線を採るようになった。それがいろんな意味で効いている。
私の時代は「鳥類学の有用性」などと称して、この問題を正面から論じたはずである。いまはそういうヤボなことはしない。「あなたのお役に立てますか」と下手に出る。これなら自分も相手も腹を立てない。私自身は解剖学という役に立たない学問を専攻し、趣味と言われる昆虫採集に励んでいたから、どこかで他人の役に立つかどうかを気にしていた。そこで「なんの役に立つか」と訊かれると、猛然と腹が立った。事実私が若かった頃の科学研究費の申請書類には「この研究の有用性」という欄があって、役所に提出する書類に空欄があってはいけないから、なにか書くわけだが、書くことがない。と言って「ない」と書くのも憚られたから、かわりにただ怒った。怒っても印刷された欄があるのは仕方がないので、どうせいい加減なことを書いたに決まっている。以来科研費を申請すると「ウソをつく癖がつく」と称して、申請しなくなった。
著者はこのタイトルの疑問に真っ向から答えようとはしない。その代わりに小笠原諸島でいろいろなことを調べているので、その内容を報告する。単行本は科研費の申請書類とは違って、長く書けるから、南硫黄島にどうやって上陸するかなどという具体的な苦労を書いているうちに「あなたのお役に立てますか」という疑問はどこかに消えてしまっても不思議ではない。読者は「ははあ、著者はそういう苦労をしているのか」となんとなく同情しているうちに、有用性なんかどうでもよくなる。ここはやはり芸で、そのためには文章表現が上手でないといけない。無人島に上陸してなにが起こるか、それをくだくだ書いても、現代の読者はついてこられないであろう。常日頃、人間の顔色をうかがって、忖度ばかりしているからである。
読み進むうちに、著者の専門は島嶼の鳥類学だとわかってくる。島には奇妙な魅力があるらしい。私の知人にも、島好きがいて、島にばかり行っている。昨年は屋久島から新種のゾウムシを記載した。この論文の著者として、私の名前を最後に付けてくれた。実際には屋久島に別なゾウムシを一緒に採りにいったのだが、そっちはなぜか採りそびれた。それを気の毒に思って、私の名前を付記してくれたらしい。連絡をしようとすると、西表にいますとか、大東島です、とか、ヘンな地名が記された返事が返ってくる。
本書には、小笠原の西之島の話題が出てくるが、ここは噴火でできたての島である。近くに島も陸もないから、いかにしてここに生態系が成立するか、それを著者は調べようとする。つまり生態系というわけのわからないものの「そもそもの始まり」を知ることができるだろうというわけである。思えば旧約聖書だって、この世界の始まりから書いてある。そもそもの始まりがいかに大切か、それでわかろうというものである。我が国でいえば『古事記』の執筆に匹敵する重要な作業ではないか。鳥類学者があなたにとって役に立たないわけではあるまい、となんとなく納得させられてしまう。
私の時代には、文部省のお役人の殺し文句は学者は税金を遣って個人の好きなことをしているんだから、遠慮せい、ということだった。その前提は政府というPPO(ピュア・ポリティカル・オーガニゼイション)が国民という会員から税金という会費を集めて、それを学者が遣うということだった。でも現代ではMMT理論のようなものができて、それはほぼウソだとわかってしまった。もっと早くにそれがわかっていれば、私も遠慮なく税金を遣えたのに、と思う。
著者は私よりずっと若い世代なので、表現に通じる部分と、通じない部分があった。比喩にカタカナの怪獣名が出てきたりすると、著者は私の子どもの世代だなと感じる。私や上の世代だと論語や老荘になる。鳥類学者にとって鵬とはいかなる存在であろうか。