繁栄の影に焦点を当てた社会派ミステリ

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繁栄の影に焦点を当てた社会派ミステリ

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「五輪」です

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 一九六四年の東京オリンピックはスポーツの祭典であると同時に、日本が戦後復興したことを世界に誇示する国家的イベントだった。

 これを機に東京の町は大きく変った。新幹線やモノレールが走り、高速道路が作られ、競技場をはじめ次々に大きな建物が建てられた。今日の東京一極集中の始まりといっていい。

 しかし、光があれば必ず影がある。これらの道路や建物の建設現場で働いたのは誰だったか。その多くは地方から働きに出てきた労働者だった。

 奥田英朗『オリンピックの身代金』は、この影の部分からオリンピックを描いた社会派ミステリの力作。

 主人公は東大の大学院で経済学を学ぶ若者。秋田県の貧しい村から出てきた苦学生である。

 彼には父親違いの兄がいる。東京に出稼ぎにきて、建設現場で働き、そして病死した。兄の遺骨を取りに行った若者はそこで過酷な労働の実態を知る。一日に十六時間も働いていて、文字通り命を削った。

 こんな言葉がある。「いったいオリンピックの開催が決まってから、東京でどれだけの人夫が死んだのか。ビルの建設現場で、橋や道路の工事で、次々と犠牲者を出していった」。

 貧しい村の出身の若者は決意する。爆弾を作ってオリンピックを妨害する。

 実際にはオリンピックは開催されるのだから計画が失敗するのは分かっているのだが、若者の怒りとそして悲しみが切なく読者に伝わってくる。

新潮社 週刊新潮
2021年7月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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