【解説:河合祥一郎】義父との確執と13歳の少女との結婚!「数奇なるポーの生涯」【文庫巻末解説】【新訳『ポー傑作選』2ヶ月連続刊行記念 連載第2回】

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ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫

『ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫』

著者
エドガー・アラン・ポー [著]/河合 祥一郎 [訳]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784041092439
発売日
2022/02/22
価格
836円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

義父との確執と13歳の少女との結婚!「数奇なるポーの生涯」【エドガー・アラン・ポーの謎に迫る解説 連載第2回】

[レビュアー] 河合祥一郎(英文学者、東京大学大学院総合文化研究科教授)

■新訳『ポー傑作選』2ヶ月連続刊行記念!
エドガー・アラン・ポーの謎に迫る解説 第2回【全5回連載】

河合祥一郎による、エドガー・アラン・ポー新訳『ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫』が先月に発売されました。また3月23日(水)に『ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人』も発売されます。
これを記念して、文庫巻末に収録されている「作品解題」や人物伝、そして、研究者やファンの間で長年にわたり解明されてこなかった、ポーの奇怪な死の謎に迫る解説を一部抜粋して、全5回の連載でご紹介します。

第2回はポー人物伝「数奇なるポーの生涯」について。義父ジョンとのお金にまつわる攻防戦や、ポーの初恋が描かれます。そして、結婚当時13歳だった、いとこヴァージニアとの関係は?
ぜひ本選びにお役立て下さい。

▼第1回はこちら
https://www.bookbang.jp/review/article/728645
▼第3回はこちら
https://www.bookbang.jp/review/article/728769

ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫 著 エドガー・アラン・ポー  訳...
ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫 著 エドガー・アラン・ポー  訳…

■ 「数奇なるポーの生涯」

(『ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫』文庫巻末)

解説
河合祥一郎

 ポーは、一八〇九年一月十九日、デイヴィッド・ポー(一七八四~一八一一?)とその妻エリザベス(旧姓アーノルド、一七八七~一八一一)の次男としてアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに生まれた。ポーの両親は「旅役者」とのみ表記されることがあるが、当時のアメリカでは劇団は数か月単位で町から町へと巡業していく方策をとっていた事実を踏まえれば、地方巡業専門の役者であるかのような表現はやめて、単に「俳優」と表記すべきであろう。ポーの両親が一定レベル以上の俳優であったことは、アメリカで最初にハムレットを演じたことで知られる俳優・詩人・劇作家ジョン・ハワード・ペイン(一七九一~一八五二)が一八〇九年四月十七日にボストン劇場でハムレットを演じたとき、母エリザベスがオフィーリア役を、父デイヴィッドがレアーティーズ役を務めたことからも確かめられる。ただし、後述するように、父は二十七歳、母は二十三、四歳の若さで他界することになる。

エドガー・アラン・ポー
エドガー・アラン・ポー

 ロンドンの舞台で活躍した女優エリザベス・アーノルド(一七七一~一八〇二?)を母に持つエリザベスは、一七九六年に母と共に英国からボストンに渡るとすぐ、九歳で初舞台を踏み、劇団と行動をともにして舞台の活動をつづけた。エリザベスは十五歳になると、十代の俳優チャールズ・ホプキンズと結婚したが、一八〇五年十月二十六日、夫は黄熱病で死亡し、十八歳で寡婦となった。既に母も失い、身寄りがなくなった彼女に心を寄せたのが、同じ舞台に立っていた二十一歳の俳優デイヴィッド・ポーであり、二人は一八〇六年三月十四日に結婚した。
 メリーランド州ボルティモア生まれの法学生デイヴィッド・ポーは、一七五〇年頃アイルランドからアメリカへ移住したデイヴィッド・ポー・シニアの息子(ジュニア)であり、法学を勉強していたが、一八〇三年七月に十九歳で初舞台を踏んでから、俳優としての訓練も受けないまま劇団に属して多くの役をこなし、一八〇四年には家族の反対を押し切って、法学を放棄して舞台俳優になることを決めたのだった。
 夫婦は旅巡業を続け、一八〇七年一月三十日に長男ヘンリーが誕生した。次男エドガー(われらがポー)が一八〇九年一月十九日にボストンで生まれたとき、母はその出産十日前まで舞台に立っていた。エドガーという名前は、そのとき両親が出演していた『リア王』の登場人物エドガーにちなんでつけられたのではないかとされる。
 母エリザベスは、二十一歳のとき前述のペインのロミオに対してジュリエットを演じたこともあり、その美貌と演技力を活かしてコーディーリア(『リア王』)、エアリエル(『テンペスト』)、ジェシカ(『ヴェニスの商人』)など重要な役を次々演じて定評を得たが、これに対して父デイヴィッドは大きな役は『リア王』のエドマンド、『マクベス』のマルカム、『から騒ぎ』のドン・ペドロ止まりだった。当時の高名なシェイクスピア俳優トマス・A・クーパーが渡米してニューヨークのパーク劇場でハムレットを演じた一八〇九年九月十一日には、母はオフィーリア役だったのに対し、父はローゼンクランツと兵士バナードー役だった。父は、『リチャード三世』で王女アンに従って棺をかつぐ台詞のない紳士トレッセルや、王の従者ラトクリフなどといった脇役を振られることが多かった。よい声をしていたようだが、上がり性のところもあったようで、大きな役がつくと酷評を受けた。性格は短気で、飲酒癖もあり、その後、一家が経済的に困窮すると、一八一〇年、父は妻子を置いて行方をくらましてしまった。
 同年八月、母は二人の幼子を抱えてヴァージニア州リッチモンドへ行き、舞台に立ちながら、十二月に長女ロザリーを出産したが、その後結核のため急激に衰弱し、翌一八一一年十二月八日に亡くなってしまった。ある情報に拠れば、父デイヴィッドはその三日後に亡くなったという。
 三人の子供たちは、ばらばらに引き取られた。兄はボルティモアの祖父母に、エドガーと妹はそれぞれ慈善家に引き取られた。エドガーはヴァージニア州リッチモンドのアラン夫妻に、妹はやはりリッチモンドのマッケンジー夫妻に引き取られたが、この両家は近所同士の親しい間柄であり、兄妹が会えなくなることはなかった。
 ポーの事実上の養父となったジョン・アランは裕福な商人であり、布、麦、墓石、タバコ、奴隷などを商っていた。夫婦は一八一二年に、ポーに洗礼を受けさせ、「エドガー・アラン・ポー」と命名したが、正式な養子縁組の手続きはしなかった。
 義父ジョンは、ポーを甘やかしもすれば、厳しくしつけもした。義父の事業は大成功を収め、パートナーのエリスとともにロンドンに支店を出すことにして、一家は一八一五年七月に英国へ移住し、ロンドンの英国博物館近くの、ラッセル・スクエア、サウサンプトン・ロウ四十七番地という都心に住んだ。家政婦を雇い、一時は二輪馬車も所有していたほどの裕福な暮らしぶりだった。ファニーという愛称で親しまれた義母フランシスは、オウムを飼い始めた。ポーは一時、義父の故郷であるスコットランドのアーヴァイン町の規則の厳しい小学校へ通わされたが、一八一六年にロンドンのアラン夫妻のもとへ呼び戻されると、翌年夏までチェルシーのミス・デュブールの寄宿学校で勉強した。小遣いをたくさんもらい、週末には家に帰り、病弱の義母ファニーに甘えた。
 一八一七年秋(八歳)から一八二〇年(十一歳)に帰国するまで、ポーはロンドン北郊外ストーク・ニューイントンにあるジョン・ブランズビー牧師の私立学校マナー・ハウス・スクールの寄宿生となった。この頃の学校生活の印象が短編「ウィリアム・ウィルソン」に描かれている。学校時代のポーは、語学、演説、演劇、水泳などを得意とした。まだティーンエージャーにもならない小学生だというのに、フランス語が話せ、ラテン語文献も読めて、歴史や文学にも通じており、しかもいつもポケットに金がある、信じがたいほど早熟な少年だった。ポーの文学的才能の基礎がこのとき出来上がったことはまちがいないだろう。
 一八一九年七月、義父は事業に失敗して不渡りを出し、十月には二十二万ドル強の負債を抱え、英国から撤退することになった。
 一八二〇年七月二十一日、一家はニューヨーク港に到着し、八月二日にはリッチモンドに戻ってきたものの、上流階級風の振る舞いは抜けなかった。ポーはリッチモンドにある最高級の私塾へ通った。当時のヴァージニア州の小学校教育では、二十名ほどの男児にギリシャ語、ラテン語、フランス語、英作文、算数、科学を教える私塾が多く、ポーもそうした私塾へ通ったのである。一八二二年十二月まで二年ほどジョゼフ・H・クラークの経営する私塾で学んだ後、一八二三年四月からは彼の後継者であるラテン語教師ウィリアム・バークに教わった。十二歳頃、ポーはバイロンの影響を受け、詩作を始めた。小学生としてのポーの性格は頑固で、決定的な証拠を突きつけられないかぎり議論で折れることはせず、その執拗さで学業も頑張ったため、十三歳でキケロやホラティウスといったラテン語や、ホメロスといったギリシャ語の文献も原語で読んでいた。
 十四歳のとき、年下の学友ロブ・スタナードの母親ジェーン(三十歳)の美しさに圧倒され、「わが魂の最初の純粋に理想的な恋人」だと思って夢中になる。翌年彼女が死ぬと、詩「ヘレンへ」(初版一八三一年)の原型となるものを書いたとされる。
 この頃のポーは、年齢の割に体は大きく、ボクシングやテニスも得意で、十五歳のときには、町を流れるジェームズ川の流れを遡って六マイル(約十キロメートル)も泳いだという武勇談もある。
 一八二四年にアメリカ独立戦争に功績のあったフランス人将軍ラファイエットが国賓として渡米したときには、ラファイエット将軍が、ボルティモア兵站部副将軍補として独立戦争で活躍したデイヴィッド・ポー将軍の墓参りをしたという噂が広まっており、ポー将軍の孫であるポーがそれを聞いて興奮したことは想像に難くない。ラファイエット将軍がリッチモンドへ来たとき、大歓迎をする人々のなかには当然ポー少年もいた。ポーはこのとき「エドガー・アラン」と呼ばれていたが、自分は「エドガー・ポー」なのだという自覚を深めていった。義父への不満もこの頃から少しずつ湧き始めていた。
 義父は、一八二五年三月二十六日に亡くなった伯父ウィリアム・ゴルトの遺産を相続し、ジェームズ渓谷を見下ろす別荘を購入して、これをランドルフ荘と名付けた。ポーはこの別荘で自由に過ごし、備え付けの望遠鏡を使って天文学に熱中した。一八二五年の冬から翌年の冬まで、近所に住むセアラ・エルマイラ・ロイスター(愛称マイラ)という黒髪と黒い目が魅力的な少女と恋仲になり、彼女のピアノに合わせてポーがフルートを吹いたり、詩を書き送ったりといった付き合いを楽しんだ。ポーは密かにマイラと結婚を約束していたが、少女は家族の思惑に従って金持ちの青年と結婚してしまう。のちのポーの詩「夢のなかの夢」で、「別れのキスをおでこにしよう、過ぎ去った日々は夢のまた夢でしかなかった」と綴られているのは、このときの経験がもとになっているのかもしれない。

セアラ・エルマイラ・ロイスター
セアラ・エルマイラ・ロイスター

 一八二六年二月十四日、ポーは十七歳と一か月という年齢でヴァージニア大学に入学した。当時は十九歳ぐらいで大学に入学するのが普通であったため、ポーはかなりな背伸びを強いられることになった。しかも、ヴァージニア大学はお坊ちゃま大学で、学生たちは豪勢な身なりをして奴隷を従えているのが当たり前だった。それができないとなれば「貧民」として白い目で見られることになる。そんな大学で、これまで「お坊ちゃま」として何不自由ない暮らしを送ってきたポーが一人暮らしを始めたのである。ポーが見栄を張ってそれに伍そうとすれば、金が足りなくなるのは目に見えていた。そもそも、義父が最初に渡した百十ドルは学費と下宿代にも足りず、ポーが手紙で窮状を訴えると、義父は当初の不足分の四十ドルのうち三十九ドルを送って、あとの一ドルは自分でなんとかしなさいと言ってよこした。ポーは召し使いも雇わなければならないし、薪代や洗濯代もあったため、高利貸しから金を借りた。学期の終わりごろ、義父は百ドルを送ってきたが、もはや手遅れだった。ポーは賭博に手を出し、巨額の借金を抱えていたのである。酒に弱いにも拘わらず、この頃から酒を吞むようになった。大学図書館で歴史書やフランス文学や十七世紀イギリス文学等の多数の書籍を借り出して読み漁り、学業でよい成果をあげてはいたが、その一方で、金銭や生活面での自己管理ができる性格ではなかったのである。
 経済的問題が起きたのはケチな義父のせいだと、ポーは主張した。入学直後に義父がズボン仕立て用の布、制服の上着、靴下四足を送ったときは喜んでいたポーであったが、学期末に六十八ドルという学費に相当する高額のつけでポーが勝手に購入したのは、義父が着用しているような最高級のベルベットのチョッキであり、必要品ではなかった。
 一八二六年のクリスマス休暇に帰宅したポーは、二千ドルないし二千五百ドルの借金を抱えていた。義父は頑としてその支払いを拒絶したうえ、文学などではなく数学や法学を勉強すべきだと主張し、口論となった。結婚を約束していたはずのマイラがほかの人と結婚すると初めて知って動揺したのもこのときであり、ポーにとっては経済的問題などよりも自分の夢が潰れていくこと──特に文学志望の否定──が耐えがたかったのかもしれない。義父は大学に戻ることを許さず、このため、大学で優秀な成績を収めていたにも拘わらず、ポーは十二月に退学した。
 義父との口論は翌年まで続き、三月二十四日にポーは、ついに家を飛び出す。

――その後、ポーは合衆国陸軍に入隊したり、士官学校に入学したり、雑誌編集者になったりします。執筆はその間もつづけますが、やがて13歳のいとこヴァージニアと結婚します。そして詩「大鴉」を発表し、一躍時の人となり…。続きは本書で御覧下さい。

▼第3回「虚構内虚構が冴える渡る!ゴシックホラーの代表作「アッシャー家の崩壊」」はこちら
https://kadobun.jp/reviews/entry-45432.html

■作品紹介

義父との確執と13歳の少女との結婚!「数奇なるポーの生涯」【エドガー・アラ...
義父との確執と13歳の少女との結婚!「数奇なるポーの生涯」【エドガー・アラ…

ポー傑作選1 ゴシックホラー編 黒猫
著 エドガー・アラン・ポー
訳 河合祥一郎
定価  836円(本体760円+税)

この猫が怖くてたまらない――戦慄の復讐譚「黒猫」を含む傑作14編!新訳
おとなしい動物愛好家の「私」は、酒に溺れすっかり人が変わり、可愛がっていた黒猫を虐め殺してしまう。やがて妻も手にかけ、遺体を地下室に隠すが…。戦慄の復讐譚「黒猫」他「アッシャー家の崩壊」「ウィリアム・ウィルソン」「赤き死の仮面」といった傑作ゴシックホラーや代表的詩「大鴉」など14編を収録。英米文学研究の第一人者である訳者による解説やポー人物伝、年譜も掲載。
あらゆる文学を進化させた、世紀の天才ポーの怪異の世界を堪能できる新訳・傑作選!

●傑作ゴシックホラー+詩
赤き死の仮面 The Masque of the Red Death (1842)
ウィリアム・ウィルソン William Wilson (1839)
落とし穴と振り子 The Pit and the Pendulum (1842)
大鴉(詩)The Raven (1845)
黒猫 The Black Cat (1843)
メエルシュトレエムに呑まれて A Descent into the Maelstrom (1841)
ユーラリー(詩) Eulalie (1845)
モレラ Morella (1835)
アモンティリャードの酒樽 The Cask of Amontillado (1846)
アッシャー家の崩壊 The Fall of the House of Usher (1839)
早すぎた埋葬 The Premature Burial (1844)
ヘレンへ(詩) To Helen (1831)
リジーア Ligeia (1838)
跳び蛙 Hop-Frog (1849)
 作品解題
 数奇なるポーの生涯
 ポー年譜
 訳者あとがき

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000043/
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KADOKAWA カドブン
2022年03月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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