新入り女官には3年間の訓練が 男子禁制の「ハーレム」で何が行われていたか? 小笠原弘幸『ハレム 女官と宦官たちの世界』を読む

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ハレム

『ハレム』

著者
小笠原 弘幸 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784106038778
発売日
2022/03/24
価格
1,815円(税込)

書籍情報:openBD

実はお堅い官僚組織だった<ハーレム>の実態――小笠原弘幸『ハレム 女官と宦官たちの世界』を読む

[レビュアー] 明石健五(『週刊読書人』編集長)

イタリア人画家ジュリオ・ロサーティによるハレムの想像画。ハレムに対する西洋人の偏見と憧れが表れている。Public domain, ウィキペディア・コモンズ経由で

九州大学准教授の小笠原弘幸による、日本初のハレム研究本『ハレム―女官と宦官たちの世界―』が刊行され注目を集めている。性愛と淫蕩のイメージで語られてきたイスラム世界の後宮・ハレムの実態を描いた本作の読みどころとは?

音声プラットフォーム「Voicy」にて、チャンネル「神網(ジンネット)読書人」を開設し、パーソナリティとして面白い本をいち早くピックアップする「週刊読書人」編集長・明石健五さんの解説をテキストに編集して紹介する。

独り歩きした「ハレム」のイメージ

本書のポイントは3つあります。

ひとつめのポイント。ある言葉が、特定のイメージを植え付けられ、そのまま独り歩きし、多くの人が、半ば言葉の意味を勘違いしながら使っている――そんなケースが多々ありますが、この「ハレム」という言葉も、その一つであるということです。

「ハレム」あるいは「ハーレム」と耳にして、皆さんは、どのようなことを想像するでしょうか。権力者が、その力と財力に任せて、複数の女性を囲い、日々、性的快楽をむさぼり尽くす……下卑た言い方をすれば、そんな印象を持つ方も多いのではないでしょうか。

日本国語大辞典を引くと、次のようにあります。
「(1)イスラム教徒上流家庭の、妻妾の居室。近親者以外の男子は出入りを禁じられた。(2)イスラム教王室の後宮。(3)転じて、一人の男性が、愛欲の対象となる多くの女性を侍らせた場所。」

「女性を侍らせる」というのも言い得て妙ですが、通常、この3番目の意味で考えている人が、多いのではないかと思います。私自身も、浅学にして、なんとなくそのように考えていたことを、まずは正直に申し上げておきます。

しかし、本書を通読すると、全く違ったハレムの姿が浮かび上がってきます。著者自身、冒頭で次のように述べています。

「イスラム世界の専制君主が多数の女性を隷属(れいぞく)させ、官能と淫蕩(いんとう)、放埓(ほうらつ)の限りをつくす場であるとして、偏見と憧れがないまぜになったまなざしを向けられ続けたのである。ハレムに閉じ込められた女性は、主体性を奪われ、政治や社会から切り離された存在とみなされた」

それに対して、本書の目的は、「近年大きく進展したハレム研究の成果に依拠しつつ、あたらしいハレム像を提示することである」と、小笠原さんははっきりと宣言します。まさに、そのような本だと、私は思いました。

最初に結論をいえば、著者は「ハレムは、徹頭徹尾、王位継承者を確保するという目的に最適化された組織」であり、「王朝を維持するための官僚組織であった」と述べています。

ハレムの女官は何人ぐらいいたのか

では、その組織がどのように準備され、強化されてきたのか。本書では、その歴史を、イスラムが登場する前にまで遡り、考察しています。

主に取り上げられるのは、トプカブ宮殿のハレムです。トルコのイスタンブールにある宮殿で、現在は博物館として観光スポットになっており、「イスタンブール歴史地域」の一部として、世界遺産にも登録されています。この宮殿は、15世紀後半から19世紀前半まで、400年間、君主であるスルタンの生活の場でした。

常に増改築が繰り返されてきたため、いつ完成したかは正確には特定できませんが、メフメト2世の時、1465年頃に一応の完成を見たとされているそうです。敷地は60万平方メートルといいますから、東京ドーム13個分。いかに壮大な宮殿であるかがわかります。

城壁があり、第1の中庭があり、その先に外邸があり、内廷がつづく。この内廷が、スルタンが私的な生活を送る場であり、さらに、スルタンの家族が住むハレムがある。本書に掲載されている詳しい見取り図を見ると、いかに巨大な建築空間だったかがよくわかります。


【見取り図】ハレムの部屋割り(小笠原弘幸『ハレム 女官と宦官たちの世界』79頁より)

では、どのような人物たちが住んでいたのか。もちろん、一番多いのは女官です。彼女たちはみんな奴隷として連れてこられた人々です。戦争捕虜、あるいは奴隷商人から、または有力者から差し出された女性もいたそうです。

ハレムに入ると、新しい名前を与えられ、様々な役割を与えられました。宝物を管理したり、衣装を管理したりするもの、散髪をするもの、食事を作るものから毒見役まで、あらゆる役目があり、その上に、女中頭、さらにその上に女官長がいます。

ハレムに入ったばかりの新人は、イスラム教徒としての振る舞いや、読み書き、刺繍、手芸、音楽、ダンスなど、3年にもわたって訓練されたといいます。

どのくらいの人数が働いていたのか。いろいろな資料があるのですが、小笠原さんの調べによると、多くて「500名」は超えていなかったということです。

もちろん、このすべての人が、スルタンの夫人・愛妾になれるわけではありません。寵愛を受けるための機会を持っていたのは、主に女中頭たちでした。ここでも、一般にイメージするように、夜な夜な複数の女性を相手にするということはなかったと、小笠原さんはいいます。繰り返しになりますが、ハレムとは「王位継承者を確保する」ためのものであり、「王朝を守る」ためのものであったのです。

「兄弟殺し」と「宦官」

興味深いのは、オスマン帝国では、ある時期まで、スルタンが死去すると、兄弟たちが殺し合いをして、後継者を決めるという習慣があったことです。敗れた王子は例外なく殺された。メフメト2世の治世には、混乱を未然に防ぐために、兄弟殺しが法令集において明文化されたそうです。

その後、17世紀に入ると兄弟殺しは廃止され、その代わりに、現スルタンの弟は、ハレムの部屋に幽閉されることになりました。これを「鳥かご制度」といいます。彼らは即位の機会が訪れなければ、何十年でも、この鳥かごの中で暮らさなければならない。そのようにして、王位継承者を確保しつつ、王朝を守っていたわけです。

ハレムの住人として、私がまったく知らなかったのが、「宦官」の存在です。中公新書で『宦官』という名著がありますが、宦官は中国のみならず、西オリエントから地中海世界にまで存在したとのことです。こちらも序列があり、白人宦官長になると、かなりの権力を有した。
白人宦官長がいれば、黒人宦官長もいて、この辺りも、ほとんど知られていない史実だと思いますので、是非とも本書第五章をお読みいただければと思います。

ハレムで発達した手話

ふたつめのポイント。本書を読んでいると、イスラム文化の豊かさが、実によく伝わってくるということです。もちろんハレムには、人身売買や性的搾取など、今日の観点から許容できない要素が含まれていますが、その一方で、第七章「ハレムと文化」に書かれている通り、音楽、詩、建築と、幅広い分野で、すぐれた文化を残しているのです。

ここでは、ちょっと趣は変わりますが、「手話」について取り上げておきたいと思います。

オスマン宮廷では、唖者が登用され働いていました。世界史的に見て、非常に珍しいケースだそうです。そして、唖者のみならず、スルタンと宮廷たちも手話を身につけていた。なぜなら、「静謐なやりとりを可能にする手話は、威厳を保つ技術のひとつとされていた」からだそうです。

そのため、ハレムでは、高度に発達した手話が、何代にもわたって受け継がれていました。小笠原さんは、「オスマン宮廷で唖者たちが手話を用いていたという記録は、手話に関する、世界でもっとも古いもののひとつであるらしい」と書いています。

あの時代に、高度な手話が、それもハレムという場で発達していたということ自体、私には、驚きでした。その理由は、繰り返しますが、「スルタンの周りを静謐に保つため」である。この点でも、一般のハレムのイメージ、権力者が女性を侍らせて、乱痴気騒ぎを繰り返すといった姿とは、かけ離れているのではないでしょうか。

日本の皇室の未来を考えるきっかけにも

3つめのポイント。私が大学の非常勤講師として、学生さんたちに、読書の仕方などを教えているときに、必ず言うことがあります。ひとつのテーマに興味を持ったら、まず、入門書でいいから本を1冊読んでみる。そして、そこから派生して、6冊読んでみること。そうすると、自分の中に、ひとつの核ができるので、さらに興味をもったら、そこから広げていけばよいという話をします。

そういう1冊に出会うことが、とても大切だと思っているのですが、本書はまさにそのような1冊であるということです。ハレムというごく狭い空間をテーマにした本ですが、その背景には非常に広い世界が広がっている。

たとえば、本書の第一章と二章では、前近代を、そして第八章では近代のオスマン帝国の重要な出来事についての叙述があります。ここを読むことで、おおまかな帝国の歴史をつかむことができますし、一章の前に、詳細なオスマン王家一覧が付してありますから、歴史をたどる上で導きの糸になります。さらに知りたければ、詳しい参考文献が巻末にあがっていますので、気になった時代、論点についてさらに読み進めていけばいい。

さらに言うと、再三の繰り返しになりますが、ハレムは、王位継承者を確保するという目的に最適化された組織でした。そこから、日本の天皇制について考えてみるのもいいかもしれません。現在でも、日本の皇室の継承については、度々話題となっています。

著者は、終章でこう述べます。「皇室を有する日本を含め、世襲君主制を採用している民主国家では、後宮不在の時代にいかに君主の後継者を確保していくか、という問題に直面している。現代における君主制は、こうしたアポリアをかかえて運用せざるを得ないのである」。

ハレムというテーマは、いっけん私たち日本人とは縁遠いものに思われますが、読んでみると、意外にいろいろな身近な問題についても考えるきっかけを与えてくれる良書だと思います。

週刊読書人
2022年4月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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