亡命、銃殺、無期懲役など……韓国の歴代大統領はなぜ悲惨な末路をたどることが多いのか?

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朝鮮半島の歴史

『朝鮮半島の歴史』

著者
新城 道彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784106039003
発売日
2023/06/21
価格
1,925円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

謀反、粛清、賜死、反正…朝鮮王朝の苛烈な歴史は現代韓国へ

[レビュアー] 明石健五(『週刊読書人』編集長)

新城道彦・フェリス女学院大学教授の新刊『朝鮮半島の歴史――政争と外患の六百年』が刊行され注目を集めている。同書は、14世紀末の朝鮮王朝の成立から、20世紀の南北分断に至るまでの道のりを描く通史だが、そこから見えてくる朝鮮特有の政治力学とは?

音声プラットフォーム「Voicy」にて、チャンネル「神網(ジンネット)読書人」を開設し、パーソナリティとして面白い本をいち早くピックアップする「週刊読書人」編集長・明石健五さんの解説をテキストに編集して紹介する。

韓国の歴代大統領はなぜ悲惨な末路をたどるのか

本書のポイントは3つあります。

1つめは、韓国特有の政治力学が歴史的に理解できるということです。

韓国の現代史、特に1948年の大韓民国成立以後の歴史を見ていて、いつも不思議に思うことがありました。

具体的に言えば、初代大統領李承晩(イ・スンマン)は1960年の選挙で4選を果たしたものの、4.19革命によりハワイに亡命を余儀なくされ、その5年後、母国の地を踏むことなく、亡くなります。

1代おいて、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、側近のKCIA部長に拳銃で撃たれ死亡。さらに1代おいて、全斗煥(チョン・ドファン)大統領は、自ら起こしたクーデターや光州事件の責任を問われ、大統領を辞めた後に逮捕、無期懲役刑を受けます。つづく盧泰愚(ノ・テウ)大統領も、同じくクーデターの罪で有罪判決を受けます。

まだまだ続きます。金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、政権末期、秘書を務める次男が不正巨額融資事件に関与したことが発覚、晩節を汚すことになります。さらに、廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、大統領退任後に収賄などの疑惑を持たれ、それがきっかけかどうかはわかりませんが自殺します。続く李明博(イ・ミョンバク)大統領も、退任後に裏金上納や賄賂授受の嫌疑によって逮捕、懲役17年の判決が確定。そして、まだ記憶に新しいですが、朴正煕大統領の娘である朴槿恵(パク・クネ)大統領は、弾劾により大統領を失職し、逮捕されます。

一度は国のトップに立ち、権力を掌中に収めながらも、ことほど左様に、悲惨な末路をたどる方が多い。「それはなぜなのか」ということが長年の疑問でしたが、本書を読み、ある意味で、目からウロコと申せばいいのか、非常に腑に落ちました。

本書は、サブタイトルにあるように、「政争」(政権の奪い合い――つまりは内部の抗争)と、「外患」(外側からの侵略や圧力)をテーマに、朝鮮半島の歴史をつぶさに追った一冊です。

前近代に建国され、近代への橋渡しをした「朝鮮王朝」、この600年にわたる歴史が、いかに厳しい戦い・抗争と共にあったか、そして過酷な道のりをたどったのか。頁をめくるたびに、驚きの連続、信じられない事態・出来事が繰り広げられていきます。

もちろん、日本の歴史だって、様々な権力闘争がありました。親子・兄弟間で殺し合いがあり、加えて外国からの侵略に国中が脅威にさらされた時代もありました。しかしながら、朝鮮半島の歴史というのは、それとはまったく比較できない。

こういう言い方をしては語弊があるかもしれませんが、殺し合いのレベルが違う、スケールが違う、何もかもが違う。何はともあれ、読んでいただきたいとしか言いようがありませんが、ひとつ、象徴的な言葉をご紹介しましょう。

「賜死(しし)」という言葉が、本書には数えきれないほど出てきます。賜死とは「国王から与えられる名誉の自決であり、賜薬(毒薬)を飲んでもがき苦しみながら絶命するのが一般的であった」(46頁)。

主に、反逆者や敵対する人物、政敵と思われる人物を排除するために行われた刑罰、「死刑」の一種です。そして、「クーデター」「粛清」「謀反」「処刑」「弾圧」「配流」「虐殺」……このような言葉が、特に第1章から第3章までを通して頻出します。

もうひとつ、象徴的な言葉をご紹介いたしましょう。「反正(はんせい/はんぜい)」。文字通り、「間違ったものを正しい状態に反(かえ)す」ことを意味します。朝鮮王朝の歴史をつぶさに見ていく時、この「反正」という言葉がひとつのポイントとなるのではないかと思います。

「新たに政権を握った勢力が〈正しさ〉を規定し、それに合わせて歴史を再構成しようとする歴史観が、この言葉に読み取れる」(59頁)と、著者・新城さんは解説します。

たとえば、「中宗反正」。李朝第10代の王「燕山君(ヨンサングン)」に対して、朴元宗(パク・ウォンジョン)らがクーデターを起こす。結果、燕山君は廃位され、クーデターの2ヵ月後「病死」する。燕山君のあとには、異母弟が王につき、中宗(チョンジョン)となります。

あるいは「仁祖反正」。同じく15代の王・光海君(クァンヘグン)が、クーデターを起こされ廃位、済州島に流され、彼の地でそのまま亡くなります。

注意しなければならないのは、通常、朝鮮王朝の場合、王の「廟号」(霊を祭る時に贈られる号)には、「祖」あるいは「宗」の文字が付けられます。前者の方が、より徳の高い、秀でた功績のあった王に付けられる。燕山君にしても、光海君にしても、この号が付けられていない。いわば、「正統」な国王としては認められていない(59頁)ということです。

ちなみに、ハングルを制定した「名君」として、ドラマの主人公にもなっている「世宗(セジョン)」は、1万ウォン札にも描かれていますが、「宗」という字が付けられています。


1万ウォン札に描かれている世宗(出典:The Bank of Korea/South Korean currency/Wikimedia Commons)

話を戻します。「反正」という言葉から、韓国の現代史を見ていくと、私が疑問に思っていたことも、非常によく理解できます。新たに権力を握ったものが、過去を否定し、自らを正当なものとする。したがって、前の権力者の存在も否定されることになる。

朝鮮半島には、朝鮮半島独自の長い歴史があり、その延長上に、現在の韓国の歴史がある。それを踏まえれば、納得できることも多々あるということです。

複雑怪奇な抗争の構図

ポイントの2つめです。

やはり、朝鮮半島の歴史というのは、非常に苛烈極まる歴史だった。ドラマチックという言葉を越えたドラマがあり、想像を超えた歴史が、本書を通して学ぶことができるということです。

朝鮮王朝の初代国王は、李成桂(イ・ソンゲ)、廟号・太祖からはじまります。その子どもが、2代定宗・3代太宗とつづき、第4代国王となるのが、先ほど申し上げた「世宗」です。

その後、様々な抗争がありますが、王権がどのように繋がっていったかは、まさに複雑怪奇です。ただし、本書はふんだんに家系図を指し示してくれますから、それが非常によい導きの糸となります。

繰り返しになりますが、骨肉の争いあり、嫁姑の争いあり、側近の反逆から権力の奪取あり、実に生々しいドラマが繰り広げられていく。「事実は小説より奇なり」という言葉が、ぴったりと当てはまります。

加えて申し上げておかねばならないのは、様々な派閥間の抗争の歴史もあったということです。この場で詳細まで説明することは叶いませんが、「学徳を備えた知識人官僚の集団」からなる「士林派(しりんは)」、それに対して、「国王の即位に貢献して権力を独占していた権臣や、その系譜を引く保守派官僚」たる、勲旧派(くんきゅうは)が激しく争います。

士林派は、子弟が科挙に合格して、中央に進出できるよう、以下のようなことに努めたとのことです。引用します。

「書院という在郷(ざいきょう)の私立儒学教育施設で学ばせるのが一般的であった。朝鮮社会は強い同族意識があり、地縁・血縁を重視することはもちろんだが、それ以外にも書院を通じて育まれた師弟関係や同じ学派同士の人的紐帯が結束につながったのである」(63頁)

士林派は、後に「東人」と「西人」に内部分裂します。さらに、前者は「南人」「北人」へ、後者は「老論」「少論」へと、さらにさらに、北人は「大北」「小北」へと別れていく。このような派閥間の争いが、私怨も相まって、激烈を極め、政治的不安定に陥っていく。


士林派の分裂

こうした背景を知った上で、韓流歴史ドラマを見ていくと、より、物語を楽しむことができるのではないかと思います。

私たちは自国の「正しい歴史」を学べているか

ポイントの3つめです。

本書を読みながら、つくづく感じたのは、国家の歴史とは、外から見ないと、その実相は見えにくいということです。

本書のあとがきに、以下のような著者・新城さんのソウル留学中の体験談が語られています。

延世(ヨンセ)大学の大学院生と話していた時に、「独立門」の話題になったそうです。三・一独立運動を讃える「三・一節」では、この独立門で大々的なイベントが行われるのが通例になっていますが、この門は、日本ではなく、清からの独立を記念して建てられたものです。しかしながら、件の大学院生は「日本からの独立を記念して建てられた」と勘違いしていたとのこと。そして、それはこの大学院生に限ったことではなく、多くの韓国人がそのように誤解しているそうです。

本書で扱われている朝鮮半島の歴史は、紹介してきたように、相当に厳しいものでした。けれども、そのことを当事者たちは正しく理解しているのでしょうか。あるいは、正しい教育を受けているのでしょうか。

これは、私たち日本人も同様です。果たして、日本史の教科書も含めて正しい歴史が教えられているのかどうか。実は隠されていることが多々あるのではないか。常に疑いの目を持って、歴史叙述を見直していかねばならない――そんなことを思いながら、本書を読み終えました。

最後に1点、初代朝鮮総督となる、寺内正毅(まさたけ)が、日韓併合に関する条約が明らかにされた日の夜に詠んだとされる歌を、ご紹介します。

「小早川加藤小西が世にあらば今宵の月を如何に見るらむ」。

この歌をどう解釈するか、二つの読みが本書には記されています。歴史史料を読む時の心得として、学ぶべきところが非常に多いと思います。詳しくは、本書にあたっていただきたい。

また、これも付け加えておかねばなりませんが、大国のとなりの「小国」の悲哀、苦難ということを、やはり感じずにはいられませんでした。著者の新城さんは「あとがき」で以下のように書いています。

「朝鮮半島は周辺国の存亡を握る緩衝地帯としてあり続けた。そこは、各国の思惑がぶつかり合う渦巻の中心ともいえる。そうした渦巻は極東だけに生じるものではない。それゆえ、朝鮮半島の歴史を知ることは世界の趨勢を理解する助けになると思う。」(281頁)

もし日本も大陸と地続きだったならば、同じような歴史をたどったかもしれません。今のウクライナを見ていても、大国のとなりの小国のあり方を考えさせられました。そのような意味でも、ぜひ現代の日本の方々にも新城さんの『朝鮮半島の歴史』をお読みいただきたいと思います。

週刊読書人
2023年7月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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