『保田與重郎の文学』
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【聞きたい。】前田英樹さん 『保田與重郎の文学』
[レビュアー] 海老沢類(産経新聞社)
■古典と暮らし見つめた「志」
原稿用紙換算で約1700枚、700ページをゆうに超える。大部の評論で光を当てたのは、国学やドイツ・ロマン派の影響下で独自の思想を打ち立てた保田與重郎(やすだ・よじゅうろう)(1910~81年)。戦中戦後を生きた昭和の評論家の著作を丁寧に読み込み、その普遍性をあぶり出している。
「教養が桁外れだし、文章も難しい。でも分かれば、この人の文章ほど深い所から出てきて、読み手に深く入り込んでくるものはない」
奈良・桜井に生まれた保田は昭和10年に雑誌『日本浪曼(ろうまん)派』を創刊。日本古来の自然観に目を向けた「日本の橋」などの論考で注目される。ただ、近代否定の反動的思想家、さらには戦意をあおったイデオローグと見なされ、戦後は公職追放に。実際、保田は何を書いたのか?
「彼は近代を否定したのではない。近代の中の人間を滅ぼす『毒』を明確に語っただけなんです」。『万葉集』の代表歌人である大伴家持(やかもち)、そして後鳥羽院らを題材に論じられる敗者たちの悲痛と希望。明治の文明開化の矛盾を鋭く突いた戦後の時評文…。日本の古典文学を掘り下げる保田の批評には、東洋的な精神に根差した平和への祈りが宿る。
「日本古来の米作りによる祭りの暮らし…これ以外に人類が真に生き延びる道はないと保田は説く。近代の機械文明は有用だけれど闘争を宿命付けられる。対して農の暮らしの根本原理は『愛』。だから敗北しても、植物が毎年芽を出すように『志』は循環し、よみがえるのだと。これは、どんな時代であれ維持しなければいけない、永続を信じた精神の闘いですよね」
多くの人に慕われたという保田は、亡くなる直前まで子供向けの学習教材を執筆していた。「後から生まれてくる人間に対する希望は決して捨てなかった。優しいんですよね」。生き方と批評の文章が重なって見えてくる。(新潮社・1万4300円)
海老沢類
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【プロフィル】前田英樹
まえだ・ひでき 批評家、立教大名誉教授。昭和26年、大阪府生まれ。フランス現代思想や文芸批評、映画論など幅広く執筆。著書に『沈黙するソシュール』『定本 小林秀雄』など。