『肥料争奪戦の時代』
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『肥料争奪戦の時代 希少資源リンの枯渇に脅える世界 (原題)THE DEVIL\'S ELEMENT』ダン・イーガン著(原書房)
[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)
食糧・環境 カギ握る元素
恐ろしい本を読んでしまった。この事実を知らぬ以前には、もう戻れない気分だ。原題は『悪魔の元素』。その悪魔を目覚めさせたのは、なんと人間という。物語の主人公は、13番目に見つかった元素「リン」。昔話では墓場に火の玉が定番だが、あれは遺体に残ったリンによるものだろう。地球上のあらゆる生命に欠かせぬリンには爆発性もあり、マッチの側薬や爆弾に使われる。一筋縄ではいかない元素だ。
リンの起源はマグマ。マグマは数十億年かけて火成岩となり、地上にリンを放出、生物を育んだ。生物が死ぬとリンは遺骸から土壌、河川、海へと戻る。海と陸をバランスよく行き来していたリンの「生命の輪」を壊したのが、私たち人間。きっかけは「化学肥料」の登場だ。
約200年前、ペルーの小島の「鳥糞石」が、痩せた土地を劇的に改善することがわかり争奪戦が始まる。ナポレオン戦争の後には欧州に散らばる遺骨が秘密裏に粉砕され、優れた肥料として撒(ま)かれた。土壌を豊かにする共通の原因がリンと判明すると、肥料はリン鉱床を採掘して大量生産されるようになる。莫大(ばくだい)な量の化学肥料が農地や牧場に堆積(たいせき)し、そこに温暖化で豪雨が頻発。大量のリンが河川や湖、海へと流れ込み、各地で有害な藻類を大発生させている。水面を獰猛(どうもう)に覆い尽くす藻類は生物兵器にもなる有毒ガスを発し、人間の脳を侵し、生態系も破壊。藻類の除去はいまやアメリカで大問題に。地球はリンの洪水に覆われつつある。
世界人口は増加の一途、食糧増産が急務だ。だがリンを濫用し続ければ環境破壊は進む。同時にリンの埋蔵量は枯渇が迫るとされ、世界的な食料危機のリスクも高まるという矛盾。ドイツは排泄(はいせつ)物から安全な肥料を作る研究を進め、リン輸入からの自立を目指すが、日本ではリンを巡る危機はなぜか石油ほど注目されていない。SDGsの虹色バッジで闊歩(かっぽ)する皆さんにぜひ手に取ってほしい一冊だ。阿部将大訳。