『ものと人間の文化史 寒天』中村弘行著

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寒天

『寒天』

著者
中村 弘行 [著]
出版社
法政大学出版局
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784588219016
発売日
2023/07/25
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『ものと人間の文化史 寒天』中村弘行著

[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大教授)

生産へ熱意 苦難の歩み

 ときどきトコロテンが無性に食べたくなる。季節に関係なく、つるりとした喉ごしのあの食べ物が恋しくなる。酸味のあるタレと青のりも欠かせない。本書を手に取ったのも、そんな突然の食欲と似たような感覚だったかもしれない。食欲と読書欲、通じるものがあるのだろうか。

 トコロテンは奈良時代以前からあって心太と書き、平安時代にはココロフトと呼ばれていた。江戸時代になると、それがココロフテエ、ココロテエ、トコロテンへと転訛(てんか)するという冗談のような話を本書から教わった。テングサを煮つめて濾(こ)した煮汁を凝固させたのがトコロテンであり、凍結・融解・乾燥をくりかえすと寒天となる。テングサは比較的温暖な地域で採取される海藻であり、作るためには大量の良い水と寒冷で乾いた気候が望ましい。保存食として重宝され、いまも羊羹(ようかん)などお菓子の材料として必要な食材であるだけでなく、かつては高級食材である燕(つばめ)の巣の代用品として中国への輸出向けとしても生産された。さらに19世紀後半以降は、微生物を培養するための培地としても使われるようになる。寒天を煮溶かして作る「水晶紙」という透き通った紙まであるのだという。

 本書では、寒天の特産地であった摂津(大阪府北部)、信州や岐阜、さらに温暖な薩摩や伊豆において、江戸時代から近代にかけ、寒天製造に熱意を燃やした人々の苦難と成功の歴史が、臨場感のある達意の文章で語られる。テングサの採取・購入や輸送、品質上昇とブランド化、農家副業ゆえの生産者の増加による品質低下を防ぐための同業者組合の結成など、農業生産の展開の過程で生じる問題が寒天製造の場面に凝縮されているようだ。

 樺太(現ロシア・サハリン)における寒天製造に尽力した篤実な医師が、評者が卒業した中学校の学区出身であることを知り驚いた。たしかにその(珍しい)名字の先輩がいたことを思い出し、ひそかな興奮を禁じ得なかった。(法政大学出版局、3300円)

読売新聞
2023年10月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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