『災禍の神話学』
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現代映し出す「装置」 『災禍の神話学』 沖田瑞穂著
[レビュアー] 花房壮(産経新聞社)
安全神話、不敗神話、土地神話…。現代社会の言説空間にはさまざまな「神話」が飛び交う。といっても、これらは人知を超えた現象を強調したり、それが崩壊・終焉(しゅうえん)したりしたときの装飾語としての意味合いが強いように思う。そんな曖昧な言葉が氾濫する中で、インド神話を専門とする気鋭の神話学者が上梓(じょうし)した『災禍の神話学』は、副題に「地震、戦争、疫病が物語になるとき」とあるように、近年で人類が経験した災厄や災禍と、古くから伝わる世界各地の神話との関係性をスリリングに読み解く。
そもそも神話とは何か。神々による荒唐無稽な物語のように見えるが、著者は「聖なる『装置』」だととらえる。人間はそれを用いて世界の成り立ちを理解する。繰り返し経験してきた戦争や自然災害にあっては、「『聖なる物語』に変換して、一般化・普遍化させることで、人々は災禍による痛みを癒し、己を戒める」のだという。なるほど。
とはいえ、神話は無慈悲で恐ろしい。とりわけ戦争に関する神話にそれを強く感じる。インドの戦争叙事詩「マハーバーラタ」の説明では、戦争の原因は大地に人間などが増えすぎ、大地の女神がその命を養うことができなくなったからだという。つまり、人減らしによる「大地の重荷」軽減が戦争の目的だった、と。確かに、現代でも地域によっては人口の急増が貧困や飢餓につながる可能性はあるが、だからといって解決策として戦争が推奨されていいわけはない。決して許容できない暴論だ。ただ、人口を養うための土地や資源を巡り大小さまざまな争いが繰り返されてきたことは否めない。
なぜ戦争の神話はこうも残酷なのか。「作者不在という神話の特性ゆえに、神話は暴力や理不尽や倫理道徳の不在を恐れることがない。それによって人々の批判にさらされることがないからだ」と著者は記す。そして、神々の戦争は「秩序構築のための『装置』」だとも。今に生きる神話の鼓動を感じさせる好著だ。(河出書房新社・2420円)
評・花房壮(文化部)