言葉に無自覚な夫にちょっと絶望……江國香織と金原ひとみが語り合った二人の作品世界

対談・鼎談

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シェニール織とか黄肉のメロンとか

『シェニール織とか黄肉のメロンとか』

著者
江國 香織 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414494
発売日
2023/09/15
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

腹を空かせた勇者ども

『腹を空かせた勇者ども』

著者
金原 ひとみ [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309031064
発売日
2023/06/15
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

江國香織の世界

[文] 角川春樹事務所


江國香織(右)×金原ひとみ(左)

『きらきらひかる』『号泣する準備はできていた』などが代表作として知られる江國香織さんによる長編小説『シェニール織とか黄肉のメロンとか』(角川春樹事務所)が刊行されました。

 作家の民子、自由人の理枝、主婦の早希の女性三人の日常をやわらかな筆致で綴った本作の魅力とは?

 同じ作家で、ある出版社では担当編集者が同じだったという縁を持つ金原ひとみさんを迎え、お互いの作品や創作への想いなどを語り合っていただいた。

 読書情報誌「ランティエ」(2023年11月号)に掲載された初顔合わせとなる対談をお届けします。

 ***

■江國香織さんたっての希望で実現した初対談

――本日の対談は江國さんたっての希望で実現しました。

江國香織(以下、江國) 大ファンなんです、金原さんの。いつも新刊を待ちわびていて、『腹を空かせた勇者ども』(河出書房新社)も素晴らしかった。今日は私からもいろいろ伺いたいと思っています。

金原ひとみ(以下、金原) こちらこそ、よろしくお願いします。『シェニール織とか黄肉のメロンとか』、すっごく面白かったです。私、この日本で老いていくことに絶望的な気持ちになっていたんですけど、こういう年の取り方ができるんだったら悪くないなと思えました。そんなに構えてなくてもいいのかなって(笑)。

江國 ほんと? 良かったぁ! いつも緩い話ばかりを書いていますが、今回の民子、理枝、早希という五十も半ばを過ぎた女性たちのこの話はさらに緩い(笑)。連載として書き始めるとき、目指したのは「読んで楽しい」でした。読んだ人の気持ちがちょっとでも自由になればいいなと思っていたので、今の言葉はとても嬉しいな。

金原 三人が時間を掛けて築いてきただろう関係が見えるんですよね。互いに良さもそうでない部分も認め、受け入れているけれど、それは自分自身の限界みたいなものを把握しているからでもあって。だからこそ、それぞれの視点から見えてくるものすべてが愛おしく感じ、読み終わった瞬間もなんだか嬉しくて、希望を持てたからか、安堵したせいか、ほろほろ泣けてしまった。こんなに緩やかな話なのに、こんなにワクワクしながら読める小説って稀有です。今を生きる女性たちに、世代を問わず読んでほしい本です。

江國 ありがとうございます。

金原 でも、こんなに解放されるものですか(笑)。

江國 年とともに解放されちゃう人、多いですよ。私も、いいのかこれで? と思いながら暮らしてます(笑)。

金原 魅力的なキャラクターばかりでしたが、民子の元カレの百地、いいですねぇ。作中には年を取って壊れたとありましたが、どうしたらあんなキャラクターが生み出せるのか。地味にじわじわ来るんですよ。柔軟剤へのあのジレンマとか、もう最高(笑)。

江國 男の人はどんどんおばさん化してくるというか。この小説の女性たちはおじさん化してますけど(笑)。だから、友達になっちゃうんだろうな。

金原 民子のお母さんの存在も効いてますよね。彼女の視点があることで民子さんの子どもとしての視点も得られるので、世界が立体的に浮かび上がってきます。

江國 どんな人も、複数の立場を持っていますからね。

金原 高校生の男の子も出てきますけど、すごく自然に書かれてますよね。なにより開放感があって、風穴を開けるような存在としてこの小説の中で生きているなと思います。

江國 風穴、大事ですよね。この三人娘が濃いから(笑)。

金原 それも江國さんの技ですよね。すべてがすごくいい距離感で、バランスが保たれている世界なんです。あとですね、民子がコードレスのイヤフォンはどこにも繋がっていないのに音楽が聞こえてくるからくりがわからないからと買うことを諦めている感じとか、すごくリアリティあります。私にも、そろそろ何かしらの諦めの瞬間というのが訪れるんだろうなと感じていたので参考になりました(笑)。

江國 いや、金原さんがこの十数年にわたり書かれているものは現代社会との親和性がすさまじいので、そういう日は永遠にこないんじゃないかと思う。『腹を空かせた勇者ども』もものすごく面白かった。レナレナをはじめとした中学生の女の子たちを主人公によくここまで書けるなと思う。

金原 こうした輝かしい青春というのは私にはなかったんです。だから、想像しながら、でも憧れだけでなくそこには嫌悪もあって。レナレナの母親と同じ気分で見守りながらという感じで書いてました。

江國 民子たち三人娘は大学生の頃に知り合って四十年近い付き合いの果てに今があるんだけれど、レナレナちゃんたちもいずれ、こうなるんだろうなって思ってしまった。

金原 私もちょっと似ているなと思いました、ふてぶてしさみたいなところが(笑)。二十代、三十代の女性たちには持ち得ない共通点がありますよね。

江國 だからなのかな。哀しくなるくらい彼女たちが好きになっちゃって。いい子過ぎる。もうね、恋とかしないでもらいたい! あの健やかさが削がれてしまう気がする。

金原 その可能性が一番あるのが恋ですからね。私もそういう劇的な変化を起こすべきか悩んだんですけど、この子たちにはこのまま突っ走って欲しかったんです。

■二人の小説の印象的なタイトルと創作論

――お二人の今回の作品はタイトルがとても印象的ですが、小説世界を見事に表現するものでもありますね。

江國 ほんとカッコいいタイトルですよね。先に決められるんですか?

金原 いえ、最後の最後で決めるタイプです。江國さんは?

江國 基本的に最初ですね。最初に決めてしまったほうが書きやすいかな。

金原 江國さんのタイトルセンスにはいつも驚かされるんです。なんだこれは、バケモノかと(笑)。「シェニール織」もなんのことかわからなくて。小説の中で種明かしはされますが、それをタイトルにしてしまうというところに余裕を感じます。

江國 今回は、なんだろう? と思ってもらいたくてつけたんです。あとね、「黄肉」を「きにく」と読むか「おうにく」と読むかという問題もあったの。

金原 実は私、最初は「おうにく」だと思っていました。

江國 たぶん、「きにく」なんて言葉はないので、「おうにく」が正しいのかもしれない。でも私は「きにく」と読んでもらいたいなぁと。

金原 これです、この余裕(笑)。それが小説全体に現れているんです。以前『デクリネゾン』という小説を書いたのですが、私が書きたかったのはこの域なんだと痛感しました。理枝が「結婚は子どもがすることだ」と言うところありますよね。私はかなり達観の域を書いたつもりだったけど、まだまだ子供だったんだなあ、と思い知りました。

江國 これは実体験なんです。仕事で泊まっていたホテルにフォーマルなお洋服を着た若い人たちの集団がいて、時期的に謝恩会かなと思ってたら新郎新婦がやってきて。え、結婚式なの? みんな子どもだけど?って。その時、納得がいったんです。結婚って子どもがすることだったんだなと。私も含めて、子どもだからできたんだと。

金原 この言葉に触れて、気持ちが軽くなったというか。結婚するというのは重みとか責任を伴うものだと思っていましたが、その程度のものだと言われれば気が楽になるし、これぐらいの気持ちじゃないと、もはや結婚できない時代でもあるのかなと思います。

江國 時代って大きいですよね。どんなに抗っても、考え方とか、ある程度時代で規定されてしまうから。

金原 この小説にはさまざまな年代の人物が登場することで、そうした時代のグラデーションがしっかり描かれているのも面白さになっていると思います。

■江國香織さんが語る金原ひとみさんの小説の魅力

――江國さんが金原さんの小説に惹かれるのはどういう点でしょうか?

江國 言葉、かな。この『シェニール織…』の登場人物って、言葉やものにものすごく執着する人たちなんですが、金原さんの小説に出てくる人も言葉に執着しますよね?

金原 え、そうですか?

江國 言葉を信じている人、が出てくる。みんな、大切な人に対して言葉を尽す。なんでこんなことを言うかといえば、私、言葉を信用していない人がいると思っていなかったんです、何十年も。でも、私が少数派で、世の中の人はあんまり言葉を聞いてないんだってわかって。

金原 あははは。でも、おっしゃることわかります。

江國 人生後半の最大の衝撃だったんです。最近だと、金原さんの「ウィーウァームス」(河出書房新社『私小説』収録)という短編にもそういう場面がでてきますね。主人公の女性が夫に、「このコップは娘の歯磨き専用にしたからあなたは使わないでと言っても、夫は意味を理解しないまま、分かったと答えるだろう」とあって。言葉に無自覚な夫に主人公はちょっと絶望しているんですよね。私は彼女にすごく親近感を持ったけれど、こういう人のほうが多いのかもしれない。

金原 反射的に言葉を使う、みたいな。

江國 そうそう、そうなの!

金原 テレビをたまに見ても、その場を盛り上げるためだけの言葉というのが多用されているなと感じます。そこで発される言葉は、全てが合いの手のようなものでまったく意味がないんですよね。こういう世界観があることに衝撃を受けます。

江國 衝撃ですよね。でも、レナレナはちゃんと言葉を使っているでしょ。イマドキの言葉遣いだけれども、その意味を考えている。友達に掛ける言葉で悩むのも、それは友情とか愛情では括れない、でもとても切実な思いがあったから。そんな言葉にしにくい感情が、ここにもたくさん書かれているんですね。言葉にできないものが言葉で表されている、というのが金原さんの小説だと思います。でも、それがなかったらつまらないですよね。言葉にできないものが言葉にされているから小説は面白いのだと思います。

金原 そうですね。やっぱり小説でしか書けないことを書いていきたいと思っています。お互いの気持ちがぶつかったり、すれ違ってしまったり、あるいは悪意はなくても傷つけてしまったり。人間関係の中でどうしようもなく生じてしまう衝突というものを書いていきたいと思っていたので、そういう風に言っていただけてすごく嬉しいです。

江國 一言では言えないようなものをたくさん抱えているのが人でしょ。だから不思議だし、人間関係も面白くなる。読むとき、書くときは他人ごとだから、殊更そう思えるの(笑)。

金原 そう言える江國さん、やっぱり余裕を感じます(笑)。

 ***

【著者紹介】

江國香織(えくに・かおり)
1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、89年「409ラドクリフ」でフェミナ賞受賞。小説に『こうばしい日々』(産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞)『きらきらひかる』(紫式部文学賞)『ぼくの小鳥ちゃん』(路傍の石文学賞)『すいかの匂い』『神様のボート』『東京タワー』『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(山本周五郎賞)『号泣する準備はできていた』(直木三十五賞)『ウエハースの椅子』『はだかんぼうたち』『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』(谷崎潤一郎賞)『去年の雪』『なかなか暮れない夏の夕暮れ』『ひとりでカラカサさしてゆく』など。

金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年東京都生まれ。著書に『蛇にピアス』(すばる文学賞、芥川龍之介賞)『TRIP TRAP』(織田作之助賞)『マザーズ』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『アタラクシア』(渡辺淳一文学賞)『アンソーシャルディスタンス』(谷崎潤一郎賞)『ミーツ・ザ・ワールド』(柴田錬三郎賞)『AMEBIC』『オートフィクション』など。

構成:石井美由貴 写真:島袋智子

角川春樹事務所 ランティエ
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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