「この子は死ぬために生まれてくるの?」治療を放棄されるトリソミーの赤ちゃん…医師がみた家族の選択

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ドキュメント 奇跡の子

『ドキュメント 奇跡の子』

著者
松永 正訓 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/医学・歯学・薬学
ISBN
9784106110337
発売日
2024/03/18
価格
924円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「この子は死ぬために生まれてくるの?」治療を放棄されるトリソミーの赤ちゃん…医師がみた家族の選択

[文] 松永正訓(医師・作家)


トリソミーの子を授かった夫婦の決断(画像はイメージ)

 この世に生まれてすぐに命を失うかもしれない――そんな運命を負わされて誕生する子供がいる。18トリソミーという染色体異常を持つ子供だ。

「18トリソミーの子は、体が弱いので手術に耐えられません。それどころか、生まれてすぐに呼吸できなくて命が果てるかもしれません。よってうちの病院では手術しません」

 そう医師に告げられたのは、法律関係の仕事に就く笑(えみ)さんと、航(わたる)さん夫婦だ。

「では……では、死ぬために生まれてくるようなものですね?」

 絶望的な気持ちになると同時に反発を覚えた笑さんの問いかけに、医師は答えなかった。

 この衝撃的な出来事のほか、出産から旅立ちまでの日々を『ドキュメント 奇跡の子 トリソミーの子を授かった夫婦の決断』(新潮社)としてまとめたのが小児科医の松永正訓さんだ。

 2歳10カ月で短い人生を終えた赤ちゃんと過ごした家族を取材した松永さんはどんな想いで作品を発表したのか?

 松永さんに話を聞いた。

染色体異常(トリソミー)とは

 細胞の核の中にある染色体は2組46本です。両親から1本ずつもらうからです。染色体が3本になっている状態をトリソミーといいます。18トリソミーとは第18番染色体が3本、13トリソミーとは第13番染色体が3本になっていることを指します(以下、トリソミーと表現するのは13トリソミーと18トリソミーのことです。21トリソミーはダウン症のことです)。

 トリソミーはいわば生命の設計図に異常があるため、脳や心臓、肺、消化器などに多発奇形を伴います。生命予後は極めて不良で、昔の医学書には、1年生きられる子は10%と書かれていました。また、医療の対象にはならないとも書かれていました。
 30年くらい前、私が大学病院に勤務していたとき、奇形を持って生まれてきた赤ちゃんに手術をし、術後にトリソミーと判明すると、その後の治療を一切打ち切っていました。つまり治療を放棄していたのです。

 みなさんは、お腹の中にいる赤ちゃんにトリソミーがあると分かったら、どういう選択をするでしょうか。妊娠継続を諦めるでしょうか。赤ちゃんに会いたいと思い、赤ちゃんの誕生を待つでしょうか。そして生まれた後に、あらゆる治療を受けたいと医療スタッフに申し出るでしょうか。
 医師の私の目から見ますと、時代と共に「諦めない」家族が増えてきています。日本全国の統計はありませんが、私の母校である千葉大学医学部附属病院の新生児科の教授に話を聞きますと、すべての治療を希望する夫婦が増えているそうです。
 私自身もセカンオピニオンという形で、トリソミーの赤ちゃんが生まれた後で、どういう治療を受けるべきかの相談を受けることがあります。昔は考えられませんでした。
 いずれにしても先天性の重い難病の子を授かると、家族は選択を迫られます。どういう選択をするかは、基本的には家族の自由でしょう。医師がむりやり家族の決断を変えさせることはできませんし、また、すべきではありません。ただ、トリソミーの子がどう生きていくのかは伝える義務があるでしょう。

生まれてからは手術の連続

『ドキュメント 奇跡の子』では、航(わたる)さんと笑(えみ)さんの夫婦が赤ちゃんを授かる場面から話を始めました。超音波検査で複数の病気が分かり、最終的に18トリソミーであることも判明します。でも、夫婦に赤ちゃんの命を中絶する選択はありませんでした。
 そして生まれたのが、娘の希(まれ)ちゃんです。
 トリソミーは予後が悪い(良くなる見込みが低い)から最初から治療はしない……そういった従来の医療の考え方に夫婦はとうてい納得がいきませんでした。夫婦は希ちゃんが最善の治療を受けることを決断します。二人は医師団にできる限りの治療を望み、医師団も最高レベルの技術を駆使して希ちゃんの手術に挑みました。
 その後の経過をまとめると――

 生後8時間、先天性食道閉鎖症と腸穿孔に対して、胃瘻と人工肛門を造る手術。
 生後2週、心奇形による肺高血圧に対して肺動脈バンディングという一時的な手術。
 生後40日で人工呼吸器が外され、希ちゃんは自分の力で呼吸をします。
 生後3か月、肺嚢胞に対して肺の部分切除術。
 生後9か月で初めての退院。在宅での医療的ケアはありますが、夫婦にとって夢にまで見た家族全員が揃った自宅での生活でした。
 生後10か月、気管軟化症に対して気管切開術。
 1歳11か月、肝臓にがんが見つかり、腫瘍摘出術。
 2歳0か月、気管からの出血に対して、胸を開く止血術。

 これだけたくさんの手術を受けますが、夫婦は決して楽天的に決めたわけではありません。トリソミーの子が、親より長く生きることはないと分かっています。笑さんは妊娠中から、いつ自分の子が亡くなるんだろうかと恐怖に怯えながら日々を過ごしていました。
 そして生と死の紙一重のところで希ちゃんの命を支え続け、今、この時間を大切にしようという思いを強く持っていました。

 幸い、長い闘病の中で、夫婦の間で考え方がずれることは一度もありませんでした。二人は心を合わせて、希ちゃんにとって最善の選択をしてきました。1歳にもならない子どもが、自分の病気に関して手術を受けたいとか、受けたくないとか考えることはあり得ません。決めるのは親だという思いがありました。
 0歳の子どもはある意味で本能だけで生きています。人間というよりも、生き物と言ってもいいかもしれません。では、本能で生きている生き物である希ちゃんが、「生きたくない」と思うでしょうか。
 そんなことはないはずです。子どもは本能で「生きたい」と思うでしょう。だったら親はできる限りのサポートをすべきで、それが親の務めと二人は考えました。航さんと笑さんは、希ちゃんの治療に関して一歩も引きませんでした。

「ただ生きていてほしい」

 ですが、やがて希ちゃんの心臓の働きは徐々に弱くなっていきます。命の炎が揺らいでいきます。夫婦は最後の瞬間まで諦めることはありませんでした。希ちゃんの命は、夫婦の想いによって支えられていると言ってもよかったのです。

「親が子どもに教わる」とか、「子どもによって親は親にしてもらう」という言い方をよく聞きます。だけど、子どもというのは、小さい頃は親によって無償の愛で守られるもので、親の足りない部分を子どもに補ってもらうというのは少し違っているのではないかと笑さんは考えました。
 子どもから親が何かを学ぶ……もちろんそれはすばらしいことでしょう。でも、子どもはただ生きているだけでいい。希ちゃんから学ぶものが何もなくてもいい。希ちゃんからたくさんのものをもらったけど、「そんなことをしなくてもいいんだよ」と、笑さんは声をかけたくなるのでした。
 夫婦は、希ちゃんの病気を治し、家族揃って暮らしたかったのです。ただ、生きていてほしい、それだけが二人の願いでした。
 2歳10カ月で希ちゃんは短い人生を終えます。
 生まれからずっと闘病の連続だった希ちゃん。在宅での生活も経験したし、家族揃っての散歩も経験しました。満開の桜も見に行きました。七五三のお祝いに神社にも行って写真も撮りました。

 闘病を通して笑さんは、医療者たちの献身的な力添えに深く感動しました。そして自分も人の役に立つ人間に、社会の役に立つ人間になりたいと誓いを立てます。1日でも時間をむだにしないで、意味のある毎日を過ごしていきたいと心から願いました。

「奇跡」という言葉を使った理由

 選択の連続だった夫婦は、最後の決断をします。それは障害を持って生まれてきた赤ちゃんを特別養子縁組として我が家に迎え入れることでした。それが利他的に生きようとする夫婦の選択だったのです。
 他人が生んだ子ども、それも障害のある子ども。そういう子を受け入れる夫婦の決断に、私は心を揺さぶられました。そしてこの夫婦であれば、きっとその子を立派に育てていくだろうと確信しています。

 希ちゃんを授かったことも、特別養子縁組で障害のある赤ちゃんを迎えたことも、奇跡のような出会いではないでしょうか。そしてこの出会いを通して家族の形ができていきます。家族とは何だろうかという問いに対して一つの答えを示すことは、今のこの時代にとても重要なことだと私は考えるのです。
 そのきっかけになればと思い、本書を執筆しました。

新潮社
2024年5月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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