『百合中毒』
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百合中毒 井上荒野(あれの)著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆答え出ぬ問題に戸惑う家族たち
小説の技巧に秀でた作家にも、いろいろなタイプがある。井上荒野は人物模様を立体的に描き出すのに優れた書き手だ。人間という矛盾に満ちた存在の陰の部分をほのめかしたり、心の非合理的な動きに光をあてたり、思わぬ行動を追いかけたりするのが得意で、その小説を読むたびに、なるほど、人間とは不思議で複雑な動物だと楽しめる。
この新しい長編小説でも、井上のそんな魅力が味わえる。実際、読み出すと興味を誘われて、次から次にページをめくりたくなるのだ。そこで問われるのは現代人の生のよりどころであり、家族のありようであり、仕事をすることの意味には違いないのだが、そんな問いを超えて、人間って面白い、という思いに駆られてしまう。
小説に描かれているのは八ケ岳のふもとで園芸店を経営している一家の姿である。父親は二十五年前に二十歳も若いイタリア人女性と恋に落ち、家族を捨てた。彼が突然、帰ってきたことから物語が動きだす。母親は年下の従業員と恋仲になっている。いやおうなく不穏な空気が漂う。
子供は二人姉妹だ。姉夫婦は心がつながっておらず、夫は秘密を抱えている。独身の妹は勤め先の設計事務所の所長と不倫の間柄だ。父親が帰ってきたことから、これまで隠れていたさまざまな問題が一挙に噴き出してきて、登場人物たちは右往左往する。小説は章ごとに視点人物を変えて語られていく。みんなが答えの出ない問題に戸惑っている。思い切った行動も、決意を込めた言葉も、なかなか解決策にはならない。読者は喜怒哀楽に揺れる人間模様を楽しみながら、自分の人生と照らし合わせて思い当たったり、ついつい登場人物の心に寄り添って心配したりしてしまう。それが楽しい。
「百合中毒」とはユリの花や葉をネコが食べると中毒を起こしてしまうこと。人間もうっかりと毒物を食べて、ひどい目に遭うことがある。欲望やプライドや世間体によって生き方を選択しながら、時にそれは人生を狂わせる。まあ、だから、生きることは面白いのだろうけれど。
(集英社・1650円)
1961年生まれ。作家。著書『潤一』『切羽へ』『そこへ行くな』『赤へ』など。
◆もう1冊
井上荒野著『その話は今日はやめておきましょう』(毎日文庫)。定年後の夫婦を描く。