<書評>『太陽が死んだ日』閻連科(えん・れんか)著
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
◆「村の惨劇」に込めた寓意とは
<おいらの独り言を誰か聞いてくれないかな>。山のてっぺんで、十四歳の少年・念念が神様に向かって語りかけている場面から、中国を代表する作家の一人・閻連科の長篇『太陽が死んだ日』は始まる。念念が話したいこととは、ある一夜の出来事。彼が住む村に起きた凶事の話だ。
寝る間も惜しんで麦刈りに精を出していた村人たち。その疲労の極限状態の中、<夢遊>という症状を見せる者が現れ始める。夢遊にかかった者は半分眠りながら歩き回るだけではない。<夢遊すると、(略)目が覚めているときには思っていても実際にはやる勇気がないことを、夢の中ではみな恐れずに思い切ってやってしまう>のだ。念念は葬儀用品の店を営む両親と共に、村人たちを目覚めさせようと奔走するのだが、夢遊にかかる人間は増える一方。
店を襲う者。妻の不倫相手の頭を叩(たた)き割る者。強姦(ごうかん)する者。恨みを晴らそうとする者。歴史上の人物になって君臨しようとする者。新しい世を生むための殺戮(さつりく)を扇動する者。村を乗っ取ろうと外から押し寄せてくる者。その一部始終を、実際に目撃したことばかりか、他者の体験や内面にまで成り代わって語る念念。読者は少年のやたら滅法な語り口によって、この陰惨な一夜を体験することになるのだ。
そうした本筋の中、若き日の念念の父親が犯した罪が明かされていく。土葬を禁じる当局の方針に従って火葬場の所長を務め、財をなした念念の伯父に向けられる村人からの憎悪もあぶり出されていく。遺体を焼く際に出てくる<屍油>を贖罪(しょくざい)の念から買い取り、洞窟に保管してきた念念の父親。この<屍油>が夢遊終焉(しゅうえん)のために用いられる終盤の展開は圧巻のひと言だ。
本国で自作が発禁処分を受けることが多い閻連科。自分自身を書けなくなった小説家として登場させてもいるこの作品の中で起きる悲劇と惨劇に、一体どんな寓意(ぐうい)と風刺を込めたのか。わたしたちは目覚めているのか。本当は夢遊状態なのではないか。考えさせられることを多々含んだ超問題作なのである。
(泉京きょう鹿か・谷川毅訳、河出書房新社・3960円)
1958年生まれ。中国の作家。著書『人民に奉仕する』『炸裂志』など多数。
◆もう1冊
閻連科著『愉楽』(河出書房新社)。谷川毅訳。