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新訳で楽しむ笑いを盛り込んだ探偵小説の名作たち
[レビュアー] 若林踏(書評家)
探偵小説への鋭い批評精神とユーモアのセンスを併せ持つ作家、アントニイ・バークリー。このたび新訳のうえ初文庫化された『最上階の殺人』(藤村裕美訳)は、その神髄が存分に味わえる作品だ。
小説家で素人探偵としても活動するロジャー・シェリンガムは、友人のモーズビー首席警部とともに閑静な住宅街にある四階建てフラットを訪れる。その最上階で老婦人の絞殺死体が発見されたのだ。警察は物盗りによる犯行と断定し捜査を進めるが、シェリンガムはそれに異を唱え、フラット内の住人に犯人がいるのではないかと推理を始める。
バークリー作品のシリーズキャラクターであるロジャー・シェリンガムは“迷”探偵と呼ぶに相応しい人物である。彼が事件に関わると解決どころか余計にややこしくなり、話がどんどん迷走していくのだ。本作では被害者の姪でシェリンガムが秘書として雇い入れたステラとの掛け合いが実に楽しい。警察の向こうを張ってステラと探偵活動に勤しむが、その振舞いが毎回ずれた感じで可笑しいのだ。ラストでシェリンガムはとんでもない行動に出るが、その結末には笑いが止まらない。
笑劇の要素を含んだ古典探偵小説の名作は数多く、その幾つかは現在新訳で楽しめる。例えばマイケル・イネスの『ある詩人への挽歌』(高沢治訳、創元推理文庫)。スコットランドにある古城の主の墜落死を巡り、奇矯な登場人物に彩られた謎の物語が展開する。随所に滲み出ているユーモアを堪能しつつ、最後に明かされる意外な仕掛けに驚嘆する。笑いと驚きに満ちた探偵小説だ。
笑いを盛り込んだ謎解き小説の書き手といえばジョン・ディクスン・カーの存在を忘れてはいけない。密室を中心とする不可能犯罪に拘りつつ、物語そのものの楽しさを追求するためにコメディやホラーなど様々な要素を詰め込む事に挑んだ作家だ。笑える話というテーマで選ぶならば『盲目の理髪師』(三角和代訳、同)。船上で起きる怪事件の横で繰り広げられるドタバタ劇に目を奪われる作品だ。