山形浩生は天才翻訳家・伊藤典夫の訳した『死の鳥』をとにかく読んでほしい

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

死の鳥

『死の鳥』

著者
ハーラン・エリスン [著]/伊藤 典夫 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784150120856
発売日
2016/08/05
価格
1,320円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

山形浩生は天才翻訳家・伊藤典夫の訳した『死の鳥』をとにかく読んでほしい

[レビュアー] 山形浩生(評論家・翻訳家・開発援助コンサルタント)

山形浩生
山形浩生

 翻訳SF業界には、伝説的な作家が何人かいる。それも実際の作品が一向に訳されないのに名作揃いだという評判だけはしっかり伝わり、翻訳SFのファン層ならだれでも知っている――そんな作家たちの相当部分は、伊藤典夫という天才翻訳家にして天才紹介者のせいだ。かれが半世紀も前に『SFマガジン』のコラムで紹介し続けた各種作家や作品は、当時の英米SFが見せていた新しい動きを反映してどれも実におもしろそうで、みんなこんなすごい代物がいつ読めるのかと思って涎を垂らして待ち続け――そして数十年の放置プレイ。なぜか? それは、その伊藤典夫自身がその作品を抱え込んでしまったからだ。
 ある意味で、それは仕方のないことだ。伊藤典夫が訳したがる作品は、おもしろいが故に一筋縄ではいかない凝った作品が多いから時間がかかる。ある意味で、それはいいことだった。数十年たってやっとこさ出た翻訳は、見事に原文のこだわりを活かしきったものとなっていた。でもある意味で――それも大きな意味で――それは残念なことでもあった。一部の作家は、ある時代の背景の中でこそ、その輝きを見せていた。それがいかに見事な翻訳とはいえ、数十年遅れで出たときには、もはやアナクロとなり、欠点のほうが目に付くようにさえなる。サミュエル・ディレイニーの諸作がそうだった。それはもちろん、ぼくが老いて、そこに描かれた情感に対する共感を失っただけかも――でも結局それは同じことだ。
 だから、そうした伊藤典夫のお抱え作家の一人であるハーラン・エリスンの本邦二冊目の短編集が出ると聞いたとき、ぼくは不安になった。かつてディレイニーが、出てみたら期待倒れだったときの二の舞では……特にこのエリスンの作品は、アドレナリンたぎる性欲と暴力衝動と権力欲を、とんでもない華美な文でくるんだものだった。いま読んだら、そのどちらに対しても拒絶反応が出るのでは――。
 それは杞憂だった。数十年ぶりに出たエリスン二冊目の短編集は、最初の『世界の中心で愛を叫んだけもの』とまったく遜色ない衝撃を与えてくれる傑作揃いだった。
 確かにそれは、きわめてプリミティブな性や暴力や復讐や生存欲を核にしている。でもそこに変に知的な処理が入り込んでいないがために、読む側が知恵をつけたり老いたりしても関係なく、プリミティブな部分に作用してくれる。そしてそれを包む、無用に華々しい美文ときたら。
「山頂に着くと、ネイサン・スタックは灼けつく極寒と砂をたたきつけるような凶暴な魔風の中を見はるかし、不変の聖地、不変の寺院、回想の性、完全の避難所、祝福のピラミッド、創造の玩具店、救済の墓所、渇望の碑、思想の貯蔵所、驚異の迷宮、絶望の棺台、宣言の演壇、最後の企ての炉に眼を止めた」
 この8割くらいはほとんど何の意味もない。でもその無意味な過剰がなんとかっこいいことか。いいから読みなさい。いまのくだらない希薄なラノベの百倍にはなる衝撃が待っているから。

太田出版 ケトル
VOL.33 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク