山形浩生は『ラテンアメリカ文学入門』を読んで文化の力の源泉について考えた

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山形浩生は『ラテンアメリカ文学入門』を読んで文化の力の源泉について考えた

[レビュアー] 山形浩生(評論家・翻訳家・開発援助コンサルタント)

山形浩生
山形浩生

 政治と文学の関わりというのは、いつもずいぶんむずかしいものではある。多くの人は単純に、表現の自由を守る政治体制が文学の開花を招くと考える。確かにそういう場合はある。政治の自由化が新しい表現と解放感を作りだし、ときにはそれが新しい文学や映画などを生み出す。一時の韓国やイランがその好例だ。
 でもその一方で、政治的な弾圧がそれに対する反発を描く文学を生むこともある。ストレートな報道や抗議ができないために、文学的な表現と類型が大きな力を持ち、それが文学の隆盛をもたらす。ノーベル文学賞を取ったボブ・ディランの歌のように、戦争や社会情勢へのコミットが文学に強いメッセージを持たせ、それが逆に社会運動の力となるといった相乗効果を発揮する場合もある。
 一方でいまや多くの先進国では、文学作品で何を書こうがほぼ自由だ。でも多くの文学関係者は、何でも書いていい状況では逆に何を書くべきかわからず、読者の関心も分散しているために、何を書いても大した反響はない。その中で文学は自分の役割について自信を失い、ありもしない政治意識を捏造することでかつて政治的な弾圧があった時代の隆盛を取り戻そうとする。
 そうした文学者はお気楽な反核声明を出してみたり、一般性のないマイノリティの味方のような顔をすることで、自分の役割を確認しようとするけれど、本当の政治的な力も持てず、文学としての隆盛にもつながらない。
 寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』(中公新書)は、ラテンアメリカ、つまり中南米の文学で見られたこの過程を実に明快に描き出す。文化の砂漠のような状態から、社会派的な(ヘタだけれど力強い)文学が台頭し、そのマンネリ化と社会の自由化に伴って爆発的に、テーマも表現もすさまじい力を持つ作品群が爆発的に登場し、商業的にも受け入れられて世界を驚愕させた。でも社会の安定化に伴い、先鋭的な作品の受容は限定的なものとなり、表面的な通俗作品が人気を博すにつれてかつての高水準はもはや維持できなくなり……。
 本書のよさは、ダメな作品についてははっきりそれを指摘してくれることだ。類書の多くは、どんな作品もこじつけてまで褒めようとする。でも寺尾はそういうごまかしはしない。そしてそこから、作品だけでなく作家たちの(ときに見苦しい)処世術も浮き彫りになる。保身のために政府批判を控え、提灯かつぎになる者もいれば、一方で過度の政治活動で作品の質を落として凋落した作家もいる。そして単に、お気楽な作家稼業で一山当てたいだけの人々も。本書は政治面だけでなく、文学のマーケティングに関するエピソードも実にうまく織り交ぜる。社会、政治、文学、読者、お金―その絡み合いの中でうごめく中南米作家たちの姿には、いまの日本の作家たちの姿が―そしてぼくたち自身の姿すら―重なって見える。文学だけでなく、文化の力はどこから生まれるのか? 本書は短いながら、この問題を取り巻く大きな力をきれいにまとめきっている。

太田出版 ケトル
vol.34 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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