あやしい宗教に歪められる家族 今期芥川賞の最有力候補
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
子供にも深い悲しみはある。今期の芥川賞最有力候補である本書を読むとき、読者の心の中では小さな子供が、主人公と共に泣いている。
赤ん坊だったちーちゃんのひどい湿疹が治ったのは、落合さんがくれた「金星のめぐみ」という水のおかげだった。これをきっかけに両親は宗教にのめり込む。父親は会社を辞め、母親は身なりに構わなくなる。親戚との関係も絶たれ、法要にさえ呼んでもらえない。しかもちーちゃんの姉であるまーちゃんはその傷のことや家庭内暴力の末、高校中退後に失踪する。だが、こうした試練は両親の信仰を深めるだけだ。
それでもこの苦境のなか、中学生になったちーちゃんは誰のことも否定しない。そして宗教の内と外にいる人々を等距離から観察する。そもそも両親がこうなったのは、病弱な自分への愛情からではないか。けれども小中の修学旅行代を出してくれた雄三おじさんの優しさも見逃さない。そして憧れの南先生に両親を不審者扱いされると、深く落胆する。
どうしてちーちゃんは精神の自由を保っていられるのか。それは彼女が、言葉よりも身体の感覚を優先しているからだろう。だからこそ、落合家で引きこもっているひろゆきくんにキスされそうになると、吐き気を覚える。豪華な仕出し弁当食べたさに、家族でたった一人、祖母の法事に参加する。万能なはずの「金星のめぐみ」でも父親の薄毛はなぜか治らない、と思う。人生のすべてを説明できるはずの教義から、ちーちゃんはことごとく外れ続け、そのたびにユーモアが生まれる。自由な空間が拡がる。
愛に溢れた善意の人々が集まっているだけなのに、どうして悲しみや暴力が発生してしまうんだろう。だがそれでも子供にとっては、どんな親でもかけがえのない存在なのだ。
やがてちーちゃんは家を出るだろう。彼女は、そして僕たちは、愛を求める人間の愚かさを許し続けることができるのだろうか。