『木に登る王』
- 著者
- スティーヴン・ミルハウザー [著]/柴田 元幸 [訳]
- 出版社
- 白水社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784560095515
- 発売日
- 2017/06/23
- 価格
- 2,860円(税込)
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男女の愛憎にまつわる見事な筆致の中篇三作
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
夭折した天才作家の生涯を幼なじみの少年が語り/騙り起こす『エドウィン・マルハウス』。夢想とは、心の奥底で静かに主の訪れを待つ底なしの井戸まで降りていった者だけに許される昏い才能なのだということを示す『ある夢想者の肖像』。とんでもない構造のホテルを建ててしまった男が主人公の『マーティン・ドレスラーの夢』。海辺の町の夏の夜の光景をマジカルに立ち上げる『魔法の夜』。自動人形、遊園地、子供、魔術師、芸術家といった装置を魅力的に扱った短篇小説の数々。
これまでに訳されたスティーヴン・ミルハウザーの作品に愛着を抱いていた読者にとって、中篇集『木に登る王』は驚きの一冊になるのではないだろうか。ここに収められた三篇が男女の愛憎という、かの作家とは無縁かと思いこんでいたテーマにまつわる物語になっているからだ。実際、売りに出す家の中を、亡き夫と不倫した女性に案内して回る四十六歳の女性の語りで成立している「復讐」を読み始めた当初、わたしは「これがミルハウザーの?」と幾度も首をひねったものだ。
が、しかし。稀代の女たらしが英国に渡り、これまで魅力を感じたことがないタイプの女性に片思いする「ドン・フアンの冒険」。愛する甥のトリスタンと妻イゾルトの関係に肝が焼ける思いを抱く王と、その側近トマス――四者の関係と心理を丁寧に描いた表題作。三作品すべてを味わえば、読み始めは首をひねった驚きが、「これぞミルハウザーの!」という感嘆へと変わるのは間違いない。
二十二年間を過ごした家の玄関広間から地下室まで、すべての部屋で自分と夫がどんな風に過ごし、不倫がわかって以降はどんな風にそれらの場所の在りようが変わっていったのかを物語る女性の語りを通して浮かび上がる、家が心の隠喩と化してしまう切なさと不気味さ。ドン・フアンが英国で滞在することになる、天才的な夢想家が完成させようとしているスワン・パークという地所の蠱惑(こわく)的な構造。王とトリスタンとイゾルトを観察し、記録するトマスという人物がかもすお馴染み感。
男女の心理の襞(ひだ)をかきわけかきわけ、一番奥に隠された扉を開く技巧的な筆致が見事な三篇のそこかしこに、ファンが愛してやまないキーワードやキーアイテムが仕込まれているのだ。つまり、ミルハウザーの新しい風貌のみならず、既訳作品でよく知っている表情まで味わえるということ。つくづく奥が深い作家と思い知らされる名篇集だ。