『ファミリー・ライフ』
- 著者
- Sharma, Akhil, 1971- /小野, 正嗣, 1970-
- 出版社
- 新潮社
- ISBN
- 9784105901431
- 価格
- 1,980円(税込)
書籍情報:openBD
インド系米国作家と小野正嗣の出会いが生んだ世界文学
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
本書は、八歳でアメリカに移住したインド系作家の自伝的小説であり、異郷に暮らす家族の絆を描いている。もっとも、主人公の少年は、陰気でアルコール中毒の父や、短気で思いこみの激しい母との関係にしばしば悩まされる。それ以上に、家族の期待の星だったが、アメリカのプールで事故に遭い、脳に損傷を受けて植物状態に陥る兄は、彼らの家族生活(ファミリー・ライフ)に決定的な影響をあたえる。兄の介護をめぐり、家族には憂いと諍(いさか)いが絶えず、同時に彼らは離散することもできない。美談に終わらない絆の描き方は、かえって読者に強い印象を残すだろう。
本書のリアルな観察眼は、家族以外の人々にも向けられている。寝たきりの兄に怪しげな治療を施す者もいれば、献身的な介護を続ける彼らを聖者のように祀(まつ)り上げる者もいる。ただし、こうした困った人々に、主人公はどこか共感も覚えているらしい。彼自身、辛い状況から逃避するために、兄のことを友達に大げさに言いふらすなど、嘘にすがらずには生きられないからだ。
自己と他者を適度に突き放して観察する、本書特有の視点は、主人公=作者の文学修行から培われたものであるようだ。彼は作品より先に研究書を読むことで、文学の世界に入門する。これは普通と逆に見えるが、「ファミリー・ライフ」の桎梏(しっこく)から心を解放するには、最初に物事を批評的に見る必要があったのだろう。
批評的な姿勢は、本書の文章にも現れている。原文は平易な英語で書かれているが、無駄な言葉がひとつもない。このような小説を正確に翻訳するのは不可能に近いが、本書の場合、小野正嗣という最良の訳者を得たことでそれが可能になっている。クレオール文学の研究者であり、現実と虚構のあわいを繊細に描く作家でもある小野が本書と出会ったこと、それ自体が世界文学における一事件と言えるだろう。