豪の作家が「泰緬鉄道」捕虜虐待を多面的に描いたブッカー賞受賞作

レビュー

5
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奥のほそ道

『奥のほそ道』

著者
リチャード・フラナガン [著]/渡辺 佐智江 [訳]
出版社
白水社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784560096291
発売日
2018/05/26
価格
4,104円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

豪の作家が「泰緬鉄道」捕虜虐待を多面的に描いたブッカー賞受賞作

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 オーストラリアの作家が、泰緬鉄道を題材に描いた小説。それだけで身構える人もいるだろう。第二次大戦中の日本軍が、タイからビルマまで続く鉄道を敷設するため、戦争捕虜を酷使して多くの犠牲者を出したことは知られている。けれども、ブッカー賞を受賞したこの長篇は、戦争に負けた側の非道を告発するだけの単純な視点で描かれてはいない。

 小説の主人公はオーストラリア軍の大佐であったドリゴ。あの地獄を生き延び、戦後の祖国で英雄視されているが、そのことに強い違和感を持っている。軍医で副司令官である彼自身が駆り出されることはなかったが、収容所の管理者から労務に出る人数を増やせと言われれば、体調を崩している者まで差し出さなくてはならない。薬剤や食料も足りないまま、多くの戦友が死んでいくのを見送ってきた。

 現在から過去、ふたたび現在へと時間は自在に行きつ戻りつする。打擲(ちょうちゃく)され、糞尿にまみれて死んでいった仲間を思いだすとき、情景はなまなましく蘇るが、現在を見渡すまなざしはどこかうつろだ。そこには戦争当事者としての痛みと同じぐらい恋人を失ったことが関係している。

 収容中に死んだ戦争捕虜たち、実行不可能な命令に従わざるをえない日本の将校、日本人からもオーストラリア人捕虜からも憎まれる朝鮮人軍曹。同じ場所にいながら立場の異なる人々の視点も持ち込まれ、時間の流れはさらに複雑に重なりあい、響き合う。

「羅生門」と名づけた焼け跡の新宿のトンネルのそばで、パンパンガールに死者のふところを探らせるなど、日本のイメージが文学的すぎる気もするが、日本軍人も含め、内面の低い声に耳をすますようにして描かれた、彼らの戦後はいずれも興味深い。芭蕉の「奥の細道」の英題でもある原題「The narrow road to the deep north」の細い道は、極限を体験した人間が向かう「極北」のことでもあるのだろう。

新潮社 週刊新潮
2018年7月19日風待月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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