ちっぽけな個人が社会に潜む悪意と正面から戦う物語

レビュー

5
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  • 希望荘
  • 獣たちの墓
  • 愛しき者はすべて去りゆく

書籍情報:openBD

ちっぽけな個人が社会に潜む悪意と正面から戦う物語

[レビュアー] 若林踏(書評家)

 ちっぽけな個人が、社会に潜む悪意と真正面から向き合う物語。それが宮部みゆき『希望荘』である。

 本書は〈杉村三郎〉シリーズの第四作にして、初の短編集だ。前三作での杉村は大コンツェルン会長の娘の夫であり、その立場から様々な事件の顛末を見届ける探偵役であった。しかし本書で杉村はそれまでの人生を捨て、私立探偵として自身の事務所を構えることになる。大きな力の庇護の下、安全圏で暮らしていた人間が、裸同然の身分になって生きる覚悟を持つ姿が描かれるのだ。

 身一つになった杉村を待ち受けるのは、これまで以上に人間が隠し持つ悪意を感じさせる事件である。収録作中、最も痛烈なのは「砂男」だろう。自分の故郷で起きた蕎麦屋の店主の失踪事件を追う内に、杉村は底なしの悪としか言いようのない存在に辿り着いてしまう。安心を与えてくれる場所を失った杉村に向けて、悪はより一層重みを増して覆いかぶさってくる。社会に蔓延する毒と杉村三郎の戦いは、本書においてようやく本格的に幕を開けるのだ。

 社会の片隅に生きる個人と大きな悪との対峙は、現代私立探偵小説の書き手にとって重要なテーマの一つになっている。ローレンス・ブロックが生み出した無免許探偵、マット・スカダーはその代表例だ。スカダーはシリーズ中期以降、世の中の絶対的な悪に対して力を持たない個人がいかに正義を成すか、という葛藤を続けてきた探偵である。妻を惨殺され、私的な復讐に走ろうとする麻薬ディーラーの依頼を受ける『獣たちの墓』(田口俊樹訳、二見文庫)でその葛藤は頂点を迎える。

 悪と真っ向から相対すれば無傷では済まない。私立探偵小説をタフガイヒーローの呪縛から解き放ち、弱い個と悪の対決として描いたのがデニス・レヘインの〈パトリック&アンジー〉シリーズだ。第四作『愛しき者はすべて去りゆく』(鎌田三平訳、角川文庫)では子供の失踪から始まる痛ましい出来事に、互いの弱さを補い合って立ち向かう探偵コンビの姿を描き胸を打つ。

新潮社 週刊新潮
2018年12月6日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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