[本の森 仕事・人生]『月まで三キロ』伊与原新/『平場の月』朝倉かすみ

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月まで三キロ

『月まで三キロ』

著者
伊与原 新 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103362128
発売日
2018/12/21
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

平場の月

『平場の月』

著者
朝倉かすみ [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334912567
発売日
2018/12/14
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 仕事・人生]『月まで三キロ』伊与原新/『平場の月』朝倉かすみ

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

 地球惑星科学専門の元研究者という経歴を活かし、最前線の研究に空想をまぶした、科学ガジェットを物語の根幹に据える作風で知られる伊与原新。そうした発明的な想像力が、全六編収録の短編集『月まで三キロ』(新潮社)では封印されている。

 表題作に当たる第一編が象徴的だ。中年の男が浜松の路上で個人タクシーを拾う。運転手に告げた行き先は、富士の樹海。「よしましょうよ。よりによって、こんな夜に」。中秋の名月の翌日にあたる今夜の月は、満月よりも満月に近く目に映るのだ、と運転手は続ける。「この先にね、月に一番近い場所があるんですよ」。男が連れて行かれた場所は――。走行中、運転手は月に関する科学トリビアを幾つも披露する。「月ってね、いつも地球に同じ面を向けてるんですよ。(中略)月の裏側っていうのは、地球からは見えない。表と裏があるなんて、ちょっと人間ぽいですよね」。男はかつて会社から独立したものの事業に失敗し、妻と別れ、実父との二人暮らしからも逃げ出した。切羽詰まった日々の中で触れ合うことのなかった科学の言葉が、人生を新しい角度から振り返る契機となる。それだけじゃない。科学の言葉が心に宿ることで、真っ暗だった未来の見え方が変化する。以降の短編でも、門外漢の人間が、科学を愛好する人間と出会い対話することで、今の現実を乗り越えようと一歩踏み出す様が描かれていく。科学は、より厳密に記すならば、科学を愛する者の繰り出す言葉は、こんなふうに人を癒やせるのだ。

 朝倉かすみ『平場の月』(光文社)は、月明かりのシーンが印象的な、五〇歳を越えた男女のラブストーリーだ。検査で病院を訪れた印刷会社勤務の青砥は、売店で働く須藤とばったり再会する。「あれ? 須藤?」「なんだ、青砥か」。カラッとした(青砥いわく、生命の根幹のようなものが「太い」)須藤は今が「ちょうどよくしあわせなんだ」と言う。でも、屈託は積もる。連絡先を交換した二人は、「景気づけ合いっこ」の飲み会を定期的に開く。中学三年の時、青砥は須藤に告白し玉砕していた。お互いにバツイチ、意気投合した二人の関係は、すぐに恋には向かわない。ひたひたと近付き、やがて関係が大きく動き出す際の、「痛恨だなぁ」という須藤の一言が、彼女のタフさと愛らしさを証し立てている。

 だが、彼女は病気で死ぬ。その事実は、小説の冒頭で提示されている。「いつ? どのように?」というミステリ的な演出ではなく、読者に心の準備をさせるためだろう。準備はしていたが、ダメだった。泣かされた。人は、「ちょうどよく」言葉を紡ぐことができない。どんなに相手を思いやっているつもりでも、いつもちょっとだけ言葉が足りない。その真実を、言葉で構築することに挑み、成功した、傑作だ。

新潮社 小説新潮
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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